夜にひしぐは神おろし

お芝居とか映画とか好きなものの話を諸々。自分のためのささやかな記録。

『メタルマクベス Disc2』 IHIステージアラウンド東京、千穐楽

Disc2の総括をする前にDisc3の初日を迎えてしまった…。それもこれも、

…という気持ちがまだ続いているせい。Disc2のまとめはしたい。しかし気持ちはなかなか整理できない。解釈だのまとめだの総括だのはじっくり味わいながら別途することとして、まずはせめて千穐楽の観劇記録だけでも。記録をしておくと未来の自分がうれしいのだ…。

もらったお煎餅

というわけで、前楽と大楽まわりの観劇記録をざーっとだけ残したいと思います。ね。区切りだからね。淡々と思い付いたことだけ書いときます。エモい話は別途のまとめに取っておきますね。

久しぶりに観た前楽

初日から前半、ライビュ、前楽と大楽で都合6回ほど観たことになるのだけど、ライビュから前楽まで20日間くらい開いたので、とっても久しぶりに観た感覚だった。

魔Ⅱ夜が痩せていて、衣装がぶかぶかになっていたことにビックリし、激しく月並みな感想が出た。パンフビジュアルがいちばんキメキメなのは間違いないとして、本編として残る映像の衣装がガバガバだと格好付かないもんねぇ。すけすけメッシュがあんなにガバガバになるなんてねぇ。魔Ⅱ夜がんばったねぇ。

でも前楽でいちばんヤバかったのは、マクベス魔Ⅱ夜が突然繰り出した「バーン!」でしたね…。新生メタルマクベスのお披露目パーティーで、魔女たち(※ファンのこと)のひとりである徳子ちゃんに向かって指鉄砲で「バーン!」ってやったんですよ…。

もちろん割れてないですよ、そんなことで割れるわけがないですよ、オペラグラスがね。しかしね、人は時に割れるような圧をオペラグラスに感じることがあるじゃろ? 風速100mくらいのやんちゃな圧が、両のレンズに、こう、パーン! と。

何あれ… なんだったのあれ… いまだに思い返しては前頭葉を殴られる日々です。

そんな不慮の事故のような前楽でしたけど、千穐楽を前にして思っていたことはただひとつ。いや、嘘、全然ひとつじゃないんだけど、でもかなりの割合を初日の回想を占めてました。

もう一度初日の甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘いスイートボイスキャラメルソングを聴けるなら、そんなにうれしいことはないのだけど、だからといって千穐楽でそれを聴きたいわけではなくて。初日のあのバランスそのままに、もう一度観たいなぁって思う。

そして千穐楽

なんだろう、やっぱり今書けることがない。ないので、いきなりカテコ以降の話でお茶を濁したい。エモかった話はもっとこう、自分の中で寝かせてから書きたい感じがあるので…。

まーなんと言っても、徳永くんが七光三度笠を歌ってくれたことですかね! 普通に考えたら予想できそうなモンですけど、全然予想してなかったんだよね… いつも何も予想できなくてナチュラルに驚かされる… そこだけはピュアだね…。

ホント、楳図かずおの漫画かっていう顔でぎゃあっ!!って言いましたね。周囲の方、ご迷惑をおかけしました。と言っても周りの方々も似たようなもんだったけど。お隣の方々が初見さんだったようで、頭の上にひたすら「???」が出てました(笑)。初演モンペの私が愛してやまない七光三度笠、ありがとうありがとう、とってもありがとう。

どのくらいぎゃあっとなったかというと、

というくらい。その後は夢中でノッておったのでした。はー幸せ。結局、どなたからのお煎餅かわからないまま煎餅撒きが終わった。こんなのはじめて。そんなダメダメな私も含めて、ちゃんと劇場にいる全員にお煎餅が行き渡るように分配してくださるキャストさんもファンの皆さんも、改めて素敵だなぁと思いました!

正直、三度笠のあとどんなだったか、あんまりよく覚えていないので、それはもったいなかったなって思うけど。ジュニアがラップをしたとか、なんかそのくらいの解像度でしか覚えてない。てへぺろ。

煎餅撒きが終わっても、やっぱり終わった実感が湧かなくて、なんだか不思議な気持ち。実はこれを書いている今も実感がないんだよね…。ステアラに行けばまだDisc2が観られるような気持ちになっている。Disc3を観ちゃった後でさえ、そんな感じがしてるんだから、不思議。

後日談としては、首周りが筋肉痛になりましたよね。

そういえば、スタッフさんの発注ミスということで「RX」表記になっていたDisc1煎餅とDisc2煎餅を並べてみたら、「RS」がやたら大きくて微笑ましかった。

Disc1のお煎餅とDisc2のお煎餅

本当ならここで締めて千穐楽エントリーが最後になるところなんだけど、Disc2はまだまだ振り返って味わいたいこととか書き残したいことが渋滞しているので、ひとまず観劇記録としてのエントリーを終えるのみ、という感じかなぁ。

最初の方にも書いたように、エモい話=卒論的なものはまた後日、別途書こうかなって思っています。卒論ってほどのボリュームにも中身にもならなそうだけど、書きたいものを書きたいように書く、それが何より楽しいよね。

Disc2カンパニーの皆様、おつかれさまでした! ありがとうございました!
(まだまだまだまだ噛み噛み反芻させてもらいますけど!)

『メタルマクベス Disc3』 IHIステージアラウンド東京、初日

思いのほかハマったDisc2の総括も終わっていないというのに、バタバタしているうち、あっという間にDisc3初日ですよ。早いですね。というわけで2日前のことになりますが、行ってきました、Disc3初日。ネタバレしてないつもりの記録を残します。

Disc3の緑のピックキーホルダーも買いました

シリーズ通して集めてるピック型キーホルダー、Disc3は緑。この他にリストバンドとタオル系を買いましたね。Disc1はマフラータオル、Disc2はバンダナ、Disc3はハンドタオル。髑髏城のハンドタオルで溢れかえる私の引き出しに、Disc3の緑が加わるわけですね。アツイ。

Disc1、Disc2初日の感想はそれぞれ以下にありますので、気になる方は合わせてどうぞ。

yahishigi.hatenablog.jp

yahishigi.hatenablog.jp

ざっくり感想

テンポや説明描写の違い

Disc1・Disc2とのいちばんの違いは、テンポかなーと思います。

かなりの箇所でSEが増えていたり、セリフやプロジェクションによる説明描写が増えていたり、小道具を使った芝居で具体的な伏線を張っていたり、今まで想像で補完させられていた部分に具体的な解釈が与えられたと言ってもいい。

だから初見の人にもわかりやすい仕様になっていると思うし、細かいことにこだわらず流れに身を任せていればいい、という感じに仕上がってるんじゃないかな。知らんけど。

これは結構好みが分かれるところかなーって個人的には思っていて。私は余白や余韻や溜めのある芝居が好きなので、あんまり盛り盛りで差し出されるとおなかいっぱいになってしまって、おかわりはいいかなってなるタイプ。自分のおくちでごりごり噛んで食べるスタイルでないと、味がよくわからなくなっちゃうタイプでもある。

でもDisc3のアレンジを「喉越しよくて食べやすい!」って思う気持ちはよくわかる。完成度としては高いのだし、完全栄養食がフルコースで出てくる感じがあるのだし、幅広くウケそうなのがすごくよく理解できる。むしろそっちが普通なのかもしれない。知らんけど。

Jr.の解釈が新しカワイイ

高杉真宙くんのレスポールJr.が新しかったねぇ。詳しく書きすぎるとネタバレになっちゃうのだけど、初演から数えて4人目のJr.にして、はじめての感じを打ち出してきた。

まだ年若いJr.をESP軍+フェルナンデス軍が力強く押し上げている様子にDisc3カンパニーの温かさを重ねてしまい、心が震えてしまった。Disc3のso long、めちゃくちゃ好き。明けない夜は長いかもしれないけど、明けない夜はない。心からそんな気持ちにさせてもらえる。

いろいろ好みはありましょうが、私はDisc3のJr.とso longが大好きだよー♡

なんだかんだでクドカンが好き

箸が転んでも涙する私がDisc3初日で泣いたのはどのシーンかと言うと、実は珍しく本編中で一度も泣いてなかったりする。

じゃあどこかって言うと、はじまる前にパンフレットを読んでいたときだったりする。

パンフの最初のほうにね、クドカンのコメントといのうえさんのコメントが見開きで載っているのだけどね、クドカンのコメントを読んでね、私はほろほろと泣けてしまったのです。クドカンもメタルマクベスが好きなんだなぁ、よかったなぁ、私も好きだよ、ありがとうね、ありがとうね。

劇場にお運びの方は是非パンフレットをお求めのうえ、クドカンのコメントを読んであげてください。また初演から順繰り観返したくなること必至。ステアラメタマクを映像で観られるのはいつ頃かなぁ…。

現場からは以上です。

『魔界転生』博多座、初日

福岡博多座で幕を開けた『魔界転生』初日に行ってきました。ずっと楽しみに待っていた舞台なので、感無量。なにせ楽しみすぎて東京公演まで待っていられなくて、博多まで遠征してしまったくらいなので…。

何より、迫り来る台風とのにらみ合いという感じだったので、無事に初日の幕が開けてよかった! 台風のことは小ネタにされていたし、カテコ挨拶でも言及されてました。いやー、本当によかった。

さて、前半にネタバレしない程度の観劇記録、後半にネタバレを含む感想などを書いていきますね。ネタバレ回避の方は途中でお帰りいただけるようになっていますので、途中までお付き合いください。

魔界転生って、ざっくり、こんなお芝居

魔界転生の原作は山田風太郎の『忍法魔界転生』で、有名なのは深作欣二監督の1981年版映画『魔界転生』だと思います。私は2003年の平山秀幸監督の映画版も好きです。映画版の見所は話しはじめると止まらないので、横に置いておいて…(いつか機会があれば書きます)。

博多座のエントランス

今回の舞台版は、新しい魔界転生を目指して新たにマキノノゾミさんによって書き起こされた脚本。ベースの骨子は一緒だけれど、小説版とも映画版ともまったく違う仕上がりになっていました。公式サイトの説明を借りると、

悪霊となり蘇った恐ろしい魔界衆たちと、剣豪・柳生十兵衛とその配下の勇猛な柳生衆たち。
個性的な登場人物が織りなす人間ドラマ、柳生宗矩と十兵衛との親子の絆、そして葛藤、天草四郎たち黄泉の世界から蘇生した魔物たちの心の叫び…。
アクションとカルトとスペクタクルの世界が融合した、壮絶、壮大なエンターテインメント時代劇の最高傑作。
豪華絢爛、空前絶後、予測不能、「日本テレビ開局65年記念舞台」として、不朽の名作に新たな命が吹き込まれます!

魔界転生 | 日本テレビ開局65年記念舞台

実際に観てみると、その言葉のとおり、人間ドラマとして描かれた新しい魔界転生だと感じました。もうちょっと詳しいあらすじを知りたい方は、公式サイトにあるものをご覧になっていただくといいと思います。

ネタバレしない程度のざっくり感想

小説版の設定をベースにしつつ、深作版で付加された設定も乗せているところがうまくて、はじめて魔界転生に触れる人にもすんなり入れるお話になっていた。想像していたよりもじっくりと登場人物の内面を描き出すシーンが多くて、そこがよかったなぁ。

深作映画版では、沢田研二さん演じる天草四郎のエキセントリックで妖艶な側面が強調されていたのに対し、本舞台では「人間」としての登場人物がよく見えた。深作映画版から平山映画版、そして今回の舞台にかけて、人間ドラマのグラデーションがある感じ、と私は思っている。

私は山口馬木也さんがとっても好きなんです。でも馬木也さん演じる由比正雪は、映画版ではあまり前面に出てこない構成になっている。今回どのくらい出番があるのかなって、ずっとソワソワしてた。でもふたを開けてみたら、由比正雪のエピソードががっつり残された構成になっていて、馬木也さんの出番も見せ場も思ってたよりかなり多い! めちゃくちゃ多い! これは本当にうれしいことですよ…。1幕2幕通して馬木也さんの芝居をたっぷり見ることができるので、ぜひ堪能してください…。しかも馬木也さんは二役やっています… 贅沢…。

上川隆也さん演じる柳生十兵衛も、映画版のキャラクター設定とはだいぶ違っている。上川さんの持ち味が生きる愛され十兵衛に仕上がっていて、父・柳生宗矩との関係性やバランスも絶妙。そこが人間ドラマとしてのコントラストを強めていた気がする。マキノさんも堤さんも、上川さんのこと大好きなんじゃないかしら。

人間ドラマといえば、若手役者さんの活躍がいい感じ。ドロドロした魔界の空気と、彼らの青春が交差するのが切ない。皆さんそれぞれの配役をイキイキと演じていて、若さゆえの魅力みたいなものがめいっぱい活かされているのがよかったなぁ。高い身体能力を活かしたアクションも多く、重厚な殺陣シーンの中で軽やかに舞う姿にハッとさせられたりした。

あと浅野ゆう子さん演じる淀君高岡早紀さん演じるお品もとてもよかった…。2人の役はどちらもそれぞれ、かなり新しいアレンジになっている。間違いなく見所のひとつだと思う。派手ではないけれど深い心情をやり取りするシーンに、思わず涙がこぼれてしまったよ。

キャストの魅力もさることながら、舞台美術や演出も見応えがある。美術といえば、衣装やキャラクターデザインが宣伝に使われているビジュアルとは全然違うので、そこは楽しみに見てほしい。1幕と2幕で違うとかいう次元じゃなくて、とにかく全然違うの。馬木也さん演じる由比正雪が出てきたとき、全然違うじゃん! ってなったし。由比のビジュアル好きだな…。

個人的には本当、馬木也さんの由井正雪が演技的にも見せ場的にもとってもよくて、喜びに打ち震えています。ちょっと前までは『メタルマクベス Disc1』でハードな役をやっていた馬木也さん、今回もいい味を出していて最高。カテコでの馬木也さんのやりきった表情を見ることも、楽しみのひとつになりそうです。はぁ、好き。

ただちょっと「長い」と感じる人はいるかもな、という印象。落ち着いて描かれるシーンも多いので、物語に入り込めないでいると長さに疲れてしまいそうな気はする。

私の次回観劇は明日です。楽しみ。誰も怪我やアクシデントなく、無事に東京に来てほしいですね。東京ではたくさん観に行く予定でいます。大阪も1回だけ行きます2回行くことになりそうです。

ここからはネタバレありの感想!

ここからはネタバレになるなと判断した細かい内容が続きます。ワンクッション画像を入れておきますので、ネタバレしたくない人はここで。ここまで読んでくれてありがとうございました! 画像は博多座エントランスに立っているのぼりです。壮観。

博多座エントランスに立っているのぼりたち

はい、では続けます。

過去作になくて今回とてもよかったのは、淀君とお品、そして天草四郎の関係。マキノさん×堤さんの真田十勇士を引き継いだ設定になっていることと、天草四郎の出生についての一説を採用しているところが重なって、新しい味わいを生んでいる。そのおかげで、四郎の悲しみがより深いものに見えるところがいい。私の好きなタイプの四郎だなぁって。

その四郎をまるっと抱いてくれるような十兵衛もよかった。変な言い方かもしれないけれど、なんだか髑髏城の七人の逆バージョンを観ているような気持ちになる。わかる人にはわかってほしい。十兵衛が全部抱いてるんだよ!! ここはステアラかな? ってなったよ…。

ステアラといえば、暗転のないステージでお馴染みだけれど、この舞台も暗転の際の待ちをできる限り減らしているように見えた。どんな舞台を観るときも、セットチェンジの機構とか工夫を楽しみにしているのだけど、魔界転生の舞台セットもおもしろいなぁ。

特徴的なのは、高さの変わる渦巻き状の高台が中央にあることかな。それが回転するようになっている。シーンに応じて細かく回転し、背景がプロジェクションされる。高台の上での演技と下での演技が入り混じって、視覚的に遊びが生まれる。プロジェクションのためのスクリーンがたびたび降りてきて、あやかしの表現をするのに使われているのもおもしろい。

高低差のあるセットを活かしたワイヤーアクションもテンションが上がるね。溝端淳平くん演じる天草四郎がワイヤーでしゅんしゅん飛ぶ。飛ぶよねー! 四郎飛ぶよねー! ワイヤーアクション観るの久しぶりだったので、新鮮。飛んでるときの淳平くんの姿勢が軽やかで、とってもいい。

演出でいちばん笑ったのが、柳生宗矩が転生して戻ってくるシーンでリアル火花をぶしゃーっと吹かせるところ(笑)。無駄に派手(笑)。あとは天草四郎大阪城の蔵を燃やすシーンのプロジェクションかな。城燃やしクラスタは必見だと思います。とても豪快にどーん!!と燃やした感じになっている。

あとはねー、ザ・堤幸彦演出って感じが随所にあって、ふふってなった。幕間でさえも堤味。1幕が終わるときに「休憩」と書かれた白い布がトーン! と降りてきて、上川さんが「30分!」って言うんだけど、堤味しかしない。2幕が近付くと、「魑魅魍魎との戦いまであと○分!」って出てきて、幕開けまでの秒数をカウントされる。マジ堤味。

カーテンコールでは、みんなが踊ってくれる。アクション班のアクロバティックなダンスも素敵だし、役者さんたちが全員踊ってくれるのが楽しい。しかし、踊る馬木也さんがかわいすぎて馬木也さんばっかり見てしまったので、次はもうちょっとまんべんなく見たいと思います…。

言いたいことは尽きませんが、今日はこのへんで。育っていくのも楽しみだし、何度も観ることで自分の中の解釈が変わっていくのも楽しみ。皆さん無事に走りきれますように!

「これから起こること」を目撃するために多ステする

私はもともと同じ映画を何度も何度も観るタイプ。演劇にハマるようになってからも、やっぱり何度も観たいと思うことが多い。いわゆる多ステというやつなんだけど、これはもう癖というほかにはない。

とはいえ、チケットが希少化するような人気公演なら遠慮するし(観たい人にたくさん行き渡るほうがいいからね)、そもそも取れないことも多い。だけど、チケットにそれなりの余裕がありそうな公演は、何度も観たい。

(もちろん、気に入った公演は、という意味ですけどね。「自分が観たいから!」以外の理由で多ステすることは、自分の場合はほぼないです。誰かへのお付き合いの意味合いも貢ぐ意味合いもない。)

できればひとつの公演につき3回くらいは観たいなーと、常々思っている。3回というのはそれなりの個人的な根拠があって、私の演劇の楽しみ方は3フェーズくらいあるからだ。

私の演劇の楽しみ方3フェーズ

私の演劇の楽しみ方3フェーズをざっくり記述すると、「浴びろ感じろ」「見逃すな焼き付けろ」「考えろ味わえ」といった具合になる。

1回しか観られないとわかっているときは、浴びて感じて焼き付けられるよう全力で観る。2回ほど観られるときは、全力で浴びて感じる回と全力で焼き付ける回に分けたりする。座席運にも左右されるので、感じる回と焼き付ける回が逆になったりもする。

3つめの「考えろ味わえ」については、劇場で公演を観ながらそれができるくらいたっぷり通えたら幸せだが、なかなかそうもいかないので、観劇後に反芻することによって満たされる。でもやっぱり観ながら「考えろ味わえ」のフェーズを深めたり没入できたりする時間が持てるときは、本当にうれしい。

多ステする中で3フェーズをくるくる繰り返しながら、演劇という贅沢を味わい尽くしたい。でもそれは映画を何度も観るのとは全く性質の違う行為で、そこがおもしろい。

「これから起こること」と「起こってしまったこと」

演劇を多ステしたい欲求は、あとでDVDを観ればいいということとはちょっと違う。劇中で目撃するものと、映像の中で目撃するものは、種類の違うものだから。

演劇のいいところは、なんといってもその場の生の熱量を眼の前でリアルタイムに浴びられるところ。別の言い方をすると、「これから起こること」に対して、演じる側と観る側の共犯性が存在するってことじゃないかな。

共犯性がキワキワに高まっている演劇は、即時性のある情動に溢れている。それは演じる者から次々に生まれてくる。観る側にとってもスリリングで、その場にいるだけで興奮することができる。共犯性が高い舞台には魅力を感じるし、それを味わいに劇場に足を運ぶ。

一方、映画(残された映像、と言ってもいい)のいいところは、共犯性が皆無であるところ。何度観ても切り取られた空気や文脈が同じだから、物語の解釈が変わらない。観る側は誰かが編んだ「起こってしまったこと」を観る。場面を切り取ることも差し込むこともできるし、それを上手にやることが期待されている。

「起こってしまったこと」と「これから起こること」は常に別物で、でもどちらも浴びて感じて、焼き付けて考えて、味わうことができるものだ。映画も演劇も、なぜその一瞬がそこにあるのか、という理由がそれぞれにある。演劇を多ステしたいという場合には、都度の共犯性を共有したいという欲求だから、映像化されて共犯性が失われた演劇を観るのでは意味がない。

もちろん、記録された「起こってしまったこと」も何度だって観たいんだよ。「これから起こること」と「起こってしまったこと」、どっちも何度も観たいの。どっちも観られるってことは、豊かで幸せなことだね。

 

『メタルマクベス Disc2』初日観劇後の解釈まとめ

Disc2初日を観ての最初の解釈をまとめておきたいな、と思ったのです。なぜならば、新感線ちゃんの舞台は2日目で演出やフローをかなり変えてくることがあるので、1日目に浴びたとんでもねぇバイブレーションを書き残しておきたくて。

ということなんですよ。上弦のときに1公演観劇するごとに観劇記録を付けていたんですけど、それが後々読み返して(自分にとって)めちゃくちゃ楽しいものになったので、今回も何かしら記録を残しておきたいなと。そういう感じのエントリです、これは。

ちなみに次回の観劇は本日9/17のソワレです。ドキドキ。

はい、で、ここから先はネタバレになるようなならないような微妙な内容、しかも完全に個人の捉え方から来る独自解釈なので、Disc2未見の方はご注意を。事実でも正解でもなく、単なる私の妄想です。

ワンクッションの画像を挟んでおきますので、お帰りになる方はここでお帰りくださいね!! お願いします!!!

ステアラロビーのポスター群

Disc1とDisc2の間の解釈の違い

本当に個人的な解釈だし、自分の解釈を誰かに押し付ける気もないし、100人いたら100人の解釈があるのが物語のおもしろいところだと思うので、どうか怒らないで聞いてほしいんですけど。もちろん、明日には違うことを思っているかもしれないし。

Disc1マクベス橋本の実家である純喫茶マクベスは、政令都市の繁華街にある喫茶店のイメージ。商店街のおじさんたちも入れ代わり立ち代わりやってくるような、そこそこ活気のあるお店だ。洒落者のおじさんなんかもいてね、結構いろんな情報が入ってくるんだよね。ある程度耳年増になる部分もあるっていうか。とにかくカルチャーに触れられる文化的基盤がある感じがすごくする。

Disc2はね、違うの。政令都市じゃない。文化的基盤が激しく脆弱な地方都市。マクベス魔Ⅱ夜こと松ぼっくりは、そんなところで育ったのではないかしら。あの時代のぱっとしない小さな地方都市。松ぼっくりは、わけのわからないセレクトショップみたいなとこで出回っているバンドTシャツとか変な柄もんのパーカーを、最初は意味もわからず着てたんだと思う。地元のローカルラジオ番組を収録してるスタジオ近くにね、あるんですよ、そういう洋服を扱っている店が、たぶんね。

そんなバックグラウンドの違いがあると解釈してるんですよ、勝手にね。その違いがね、こう、観劇する自分の心にもたらすものがね、心を抉ってくるんですよ。

だから、Disc2には「地方都市出身でなんらかの成功を志したことのある“かつての”若者たち」に対する特攻バフがかかってる。クリティカル800%は出ると思う。「そんなこともあったけど、今は無難に暮らしてる」防御も無効化するし、「二度とあの頃のことは思い出したくない」封印も無効化する。そういう種類の精神攻撃が来る。

それがね…このつぶやきにつながるのね…。

マクベス魔Ⅱ夜の中途半端なバンドマン感、あそこから連想(妄想とも言う)することは、地方の「そこそこできる子」。マクベス魔Ⅱ夜はなんとなく入った運動部で、県大会までは常連なんだけど、県大会で三位入賞することもないし全国大会までは行けない選手… ってイメージになるんですよ。

そう考えたときに、地方都市の閉塞感とか地方都市出身者が時折感じるどん詰まり感とか(今の時代ではなく、あくまで当時の話として考えてもらえれば)、それって「男の股は八方塞がり」にリンクするのでは、と思うわけだ。わーん。なんなの。ぐえええ。

クドカン戯曲のなじみ方について

Disc1のときには「クドカン脚本が持つ日本語コンテキストの妙」がすごいのだという内容を書いたけど、Disc2に感じるものはちょっと違っていて、Disc2はクドカン戯曲の持つ行間を余すことなく絞り上げてる感じがするのだ。それがね、心にくる。

Disc1はクドカン戯曲の行間があまり乗っていない感じがする。初日を観た直後のブログにも書いたのだけど、Disc1はシェイクスピアの戯曲に寄って整えられた感じがあり、クドカン戯曲全体の「どうしようもなさ」が寓話的な形に丸められているようにも見える。

それが何を意味しているかというと、正統派シェイクスピアの寓話とクドカンの日本語文脈のコントラストが味わいを生む座組だったってことだ。整った寓話の中では、クドカンの言葉遣いはあまりに軽い。だからそのコントラストが映える。

けれどDisc2では、クドカンが操る日本語文脈にコントラストが生まれにくい。なぜならDisc2の板の上には、搾り取られたクドカンの行間が乗っている感じがするから。新感線の舞台なのに、大人計画のにおいさえする。クドカン戯曲の行間が板に乗っているということは、すべてが現代的な物語に寄っているということ。この違いって、かなり大きい。

まだまだ妄想しがいのあるところいっぱいで楽しい

まだまだ思うところあるし、Twitterではもっといろいろつぶやいたりしているのだけれど、とりあえず現時点での解釈についての大きなところを書き残せたかな。今日のところはこれくらいでよさそう。

ちなみにDisc1からずっと考えている魔女の予言とグレコ出生の解釈については、やっぱりまだ保留中です。Disc2を観て感じた違いが、Disc1千穐楽時点での解釈にどんな影響をもたらしたかというと、「破滅に必要な要素を持つ人間が全員同じ血族である可能性」は違ってたな〜と考えるようになったことなんだけど、わかんないよ〜、わかんないよ〜。

解釈に正解があるとか思ってないし、自分とは違う解釈を味わうのがめちゃくちゃ好きなので、もっと他の人の解釈が聞きたいな〜と常々思っています。

2日目以降の公演、カンパニーにどんな変化があるかな? それを観て、自分の解釈にどんな変化があるかな? 待ち遠しいな〜! 脳内であれこれ解釈や妄想を繰り広げているときが本当に幸せだな〜! 演劇って尊いな〜!