夜にひしぐは神おろし

お芝居とか映画とか好きなものの話を諸々。自分のためのささやかな記録。

朱雀岐阜2020の梵字に56億5500年後を見て兜率天往生したっていう話

こんにちは、誰も得しないけど私だけがハッピーになることでおなじみの梵字ブログの時間です。毎度のことながら前提をすっ飛ばして朱雀岐阜2020で観た祭男爵の衣装の話をしますね。(そもそも前提を知ってる人しか読まないでしょこのブログ)

念のため、前回までのあらすじが必要な人はこちらの2本から順にどうぞ。

いちおう今回も注意書きをしておきますけど、ここで書く話はちょっと密教好きなオタクがライトな解釈を妄想レベルで語る話なんで、正解とかはないし完全に私だけの妄想です。あとホントは出典とか全部書きたいところなんだけど、もうそういうのも全部省略するので記事全編を通してひたすら「要出典」ということでお願いします。なにせライトな梵字オタクなので…。

来ると思ってなかった梵字が来た

いや、来ないと思ってたんですよ、梵字。シャナナのセンターを張るなおちゃんが不在なので、シャナナは絶対にやらないって分かっていたし、やらないならわざわざ梵字衣装出して来なくない? って思っていた。それにもし出してくるなら配信のない日だろうなと思ってたので、25日が終了した時点でもうないものとタカをくくっていたんですよね〜〜かわいそうなオタク!

そしたら来ちゃった。何よ。来るなら先に言いなさいよ。26日昼公演。舞台の照明がパッと点いた時点で白目を剥きました。そこからマイ両眼が全員分の梵字をスキャンするのにかかった時間、ほぼ30秒。私は、私は、この時点でわりと臨界点に達していたので、私は、ちょっと自分のスイッチを切っちゃったところあるよね… 人体には限界というものが存在するので… 情緒の限界を感じていったん心のやわらかいところの回路を絶ちました。

「楽しんでいこうや〜!」じゃないんですよ。お気持ちが限界。無理みの無理。「ヨーソイ!」じゃないんですよ。よしきくんのファンサを直接もらって超絶ハッピー✨なはずが、情緒が焼き切れているのでなんかもうフリーズするしかなかったですよね… 強いおくすりには許容量ってもんがある。

なんでかっていうと、何度でも同じツイートを貼って申し訳ないんですけど、ちょっとここまで巻き戻って話をはじめないといけないんですよ。

ゆっくんの梵字が不動明王で、Final公演のときの太一くんの梵字が大日如来だったっていう話は前回書いたんですけど、来ちゃいましたよね、最後の大物が。その衝撃に耐えられなくて、いったんなかったことにしちゃったっていうか。あとでフォロワッサンから「梵字なんだったの?」って聞かれたのに「うんちょっと後でするわその話」などと塩対応をしてしまうレベルで動揺していました(塩対応してマジごめんね)。

それぞれが着ていた衣装の梵字

それぞれの衣装にどういう梵字が描かれていたのかは以下のとおりです。ちょっと読み取りが難しくて「たぶん」レベルのものもあるんですが、解釈としては一致するってことで挙げています。観てない人にもわかりやすいかな〜ということで衣装着てたときのイメージも描いてみました。

梵字衣装のイメージ

  • 須賀くんの梵字:韋駄天(26日夜と千穐楽は帝釈天で登場)
  • 祐也くんの梵字:地蔵菩薩
  • 創さんの梵字:観音菩薩
  • 熊倉さんの梵字:弥勒菩薩
  • 儀輝くんの梵字:風天=風神(たぶん…)
  • 智之さんの梵字:水天=雷神(たぶん…)

ねぇちょっと聞いてくださいよそうなんです我らが熊倉功が弥勒菩薩を背負って出てきたんです都合が良すぎないですか?

なんぼなんでも都合が良すぎないですか???

💢 💢 💢 💢 💢 💢

そもそも熊倉さんが大好きなのは認めざるを得ない事実なのですが復活公演でキレキレの傘持ちだった人が道心でセンターっていう私へのご褒美みたいなすごいやつでアレしてきてそのおかげで19日昼公演から都合4回きっちり昇天したというのにそれに相応しい格の梵字を背負ってどーんとやってくる推しを観てどうすればいいんですか???(ここまで一息)

あっちなみに私は24日昼夜の舟唄組曲が全編通していちばん刺さってしまい、このままだと舟唄組曲の亡霊になりそうです。ああいうタイプの舞踊がいちばん好きなうえ、ビジュアルも構成も最高だった… フナウタクミキョク… なぜ映像に残らなかったのペンノレ… お写真だけは上げてもらってすごくうれしかった… うっうっ………………………

 

(舟唄組曲を思い出してダメになったのでいったん休憩)

 

はい、話が逸れましたけれどもね、とにかくですね、仏教界の三大推しが大日如来、不動明王、弥勒菩薩であるオタクのところに飛び込んできた梵字「ユ」の一文字、あまりに破壊力がつよつよだった。熊倉推しの私にとって都合が良すぎて「こんな都合のいい熊倉功がいるわけがない」っていうベストセラー小説が生まれてもおかしくなかった。たぶん芥川賞取っちゃう。たぶんもうすでに取ってる。

とりあえず私の言いたいことは以上ではあるのですが、せっかくなのでそれぞれの梵字の意味するところの説明とか、ちょっとした小話とか、まとめたいと思います。

須賀くんの梵字:韋駄天&帝釈天

韋駄天

須賀くんは26日昼公演の祭男爵では韋駄天を着ていました。真言は「オン・バザラ・ケンダ・ソワカ」だよ。梵名っていう名前がいっぱいあることも特徴なんだけど、基本的には「跳ぶもの」っていう意味で呼ばれているみたい。

韋駄天は去年は大五郎さんが着ていたはずなので(要確認)、主力になりうる助っ人クラスの人に着せる梵字なのかな〜と想像していました。韋駄天は走力の象徴なので、サッと来てパッと演れる! みたいな感覚が朱雀の助っ人にちょうど当てはまる感じがするよね。天部の中でいちばんの俊足で、お釈迦様の骨(舎利)から歯が盗まれたときに、天上界の頂上まで一瞬で駆け上がって取り返したっていうエピソードがあります。

増長天(みんな大好き四王天にいる四天王のひとりだよ)の部下である八将の一神で、僧の住居や台所を守る神とも言われてるらしい。一般的なご利益もいろいろあるんだけど、なぜか寺院の守護がメインみたいな感じになっているせいで、信仰の対象にはなりづらいところがあったみたい。韋駄天走りが言葉として有名だから、知名度は抜群なんだけどね。

修行僧が悪魔に悩まされるときは走ってきて救ってくれるっていうご利益があるそうなので、お稽古という名の修行でみちみちになってるカンパニーへの最強の助っ人っていうイメージにぴったりだね。

一般的にはスカンダっていう梵名であることが多いけど、ヒンドゥー教ではカルティケーヤとも呼ばれていて、6つの顔を持った少年神であるとされているらしい。6人分のパワーを持っていて、64の名前を持つくらい多面性を持ったエネルギッシュな神がルーツになっている仏なので、まーなんていうか元気がいちばん! って感じ。須賀くんあざーす!!

実は岐阜にはめちゃくちゃ有名な韋駄天像があるんですよ。瑞甲山乙津寺にある臨済宗妙心寺派の韋駄天立像がそれです。鎌倉時代のものらしくて重要文化財に指定されてます。なにより、乙津寺のご本尊は不動明王らしいのでめっちゃ気になるし、弘法大師の坐像もあるんですって! いつか葵劇場が岐阜に復活したら、合わせて行ってみたいなぁ。

帝釈天

26日夜公演と千穐楽では、帝釈天の梵字を着てました。真言は「ナウマク・サマンダボダナン・インダラヤ・ソワカ」、この真言を唱えれば国家安泰、人々は金銭に困らなくなるというやつです。

ねぇ〜、なんで千穐楽にはこっちを着せたのか、小一時間理由を問うてみたいよね〜!! 単にサイズの問題だったのか、何かしら意図があって格を上げたのか。単に衣装のサイズ感の問題だったんじゃないかって気もしてるんだけど、でももしかしたら深〜い意味があるかもしれないじゃん! しれないじゃん!

帝釈天っていうのはね、みんな大好き六欲天の中の第2天・忉利天の主なんだよ。忉利天の下にあるのは、そうだね、みんな大好き六欲天の第1天・四王天だね。四王天には四天王がいるけれど、帝釈天は四天王に人々を見張るように命じ、人々の動きを報告させていると言います。韋駄天から考えると、だいぶ出世した感じがしますね。

天界最強の軍神なんだけど、いろいろダメなところが多くて、人間みのあるエピソードがたくさんある。あと阿修羅とあくなき戦いを繰り広げていることでも有名。阿修羅の娘を奪っちゃったからなんだけど。

イメージで言えば須賀くんのイメージとは違うけど、お芝居の中で繰り広げられた須賀くんへの風評被害シリーズを当てはめればちょうどよくなるかもしれない(笑)。

祐也くんの梵字:地蔵菩薩

舞台が明るくなって最初に目に入ったのが祐也くんの地蔵菩薩の梵字だったので、わ、わ、わかり〜〜〜!!! ってなりましたよね。この梵字は「笑い」や「喜び」を表すとされているんだよ〜。祐也くんにぴったりすぎてニコニコしちゃった。

真言は「オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ」、梵名はクシティガルバって言います。大地のように揺るがず、無限の力を持つという意味を持っていて、お地蔵様を拝むのは大地を拝むのと同じことらしいです。

子どもの守護尊としてのイメージが強くて、子どもを抱いていたり自身が子どもの姿をしていることが多い仏様だけど、お地蔵様の姿にも複数の基本形があるんだよ。祐也くんの場合は、如意宝珠+錫杖を持ってるパターンで解釈したいな〜。錫杖は旅姿を意味しているので、旅から旅への大衆役者にもぴったりだなって思う。

まーしかしホントにお地蔵さんほど身近に親しまれている仏はいないよね。偉ぶっておらず、いつも庶民目線で、お寺以外にも村のはずれから山頂まで様々な場所で見守ってくれている。もはや仏教を離れた民間信仰と言ってもいいくらい。日本に現存する仏像の中で最も数が多いのは地蔵菩薩らしいよ。

現世では観音菩薩と並んで最も仕事をしているエース級の菩薩なんですよ。なんせ28種+7種のご利益があると言われてるくらい出血大サービス。そもそも菩薩っていうのは仏の中でも直接人々を救うことを指名とした絶賛修行中の集団なのだけれど、その中でもトップクラスの働き者なんだよね。ありがとうお地蔵様。

あと「月夜の一文銭」ってお芝居あったじゃないですか。本編とは全然関係ないけど、一文っていうのがまたお地蔵さんを連想するんだよね! 地蔵菩薩は六道を巡って人々に救いをもたらしてくれるんだけど、三途の川の渡り船の料金として六文銭が必要っていうのは、六道を救済する六地蔵に一文ずつお供えすることから来ているのだ! がじろうと三次の待ち合わせが一本松の前なのかお地蔵さんの前なのか結局わかんなくて3年と5年の時空を超えちゃったけど、「月夜の一文銭」めちゃくちゃよかったなぁ…。

あっそうそう、ちなみになんですけど、地蔵菩薩が地の蔵なら、天の蔵は虚空蔵菩薩なんです。対ってことです。虚空蔵菩薩は太一くんの梵字っていうのは前回書きましたけど、つまりはそういうことです。ちょっと遡って仏のルーツであるバラモン教を見てみると、地蔵は地神プリティヴィー(雌牛)、虚空蔵は天神ディアウス(雄牛)とされるんだそうです。この二神は合わせてディアバー・プリティビーと呼ばれ、えっなに夫婦ですか? びっくり! 突然の夫婦説。日本では虚空蔵菩薩と地蔵菩薩を一対として安置している例は少ないらしいけど、京都の広隆寺などは対になってるみたいです。

虚空蔵菩薩の話が出てきたから、もうちょっと脱線してもいいですか? 虚空蔵菩薩って星辰信仰(自然崇拝のひとつで太陽・月・星を、神秘的な力をもつものとして尊ぶ思想のこと)とも関係してるらしいですよ。岐阜にも星宮神社っていうのがありますでしょ、あれは御神体が虚空蔵菩薩だからみたいです。虚空蔵求聞持法が成就するとき、天空から星が降るのだそうで。これは空海24歳のときの体験談として本人が「三教指帰」に「明星が天降った」と書いていることでもあります。(これはおかざき真里先生の「阿・吽」との解釈違いでもありますね、でもおかざき先生の描かれたあの世界観も私は大好きだよ)

ところで岐阜の柳ヶ瀬にもお地蔵様がいるって知ってました? 私は知らなかったので、拝観せずに帰ってきちゃった! 残念! 手前のブロックまでは散歩したのに惜しい! 弥八町にある誓安寺の弥八地蔵尊、岐阜に葵劇場が復活したら絶対行きます。

創さんの梵字:観音菩薩

創さんが着ていた衣装は観音菩薩の梵字だと思います。衆生の真理を求める心を観察して、悟りの世界へと導いてくれることを意味している字なんだよね〜。

真言は「オン・アロリキヤ・ソワカ」、梵名はアバロキティーシュバラ。あらゆる方角に顔を向け救済するという意味で、世界中の様々な人をまんべんなく見て助けてくれるハイパー面倒見のいい仏なのです。観音っていうのが「音に通じる」という意味なので、救いを求められたらすぐに応えるっていうことなんですよね。

そもそも慈悲を神格化した存在であり、慈悲のカリスマと言って差し支えない観音様は、ご利益の守備範囲が無制限で祈り放題。どんな携帯料金よりもわかりやすい。しかも本来は菩薩よりも位の高い正法妙如来っていう超エリートクラスの仏なのに、人々を直接救うためにわざわざ菩薩の立場となって現れてくれているんだよ。現世利益的なご利益が多いのにはそういう理由もあるんだね。創さんっぽいじゃん〜〜。そこはかとなく朱雀での創さんのイメージっぽいじゃん〜〜。

本来は男性であったようだけれど、いろいろあって女性的なイメージも強くなり、今では性別はないんじゃない? くらいの感覚らしい。最先端。とにかくいろいろな姿で現れるので情報過多って感じの観音様なのですが、ここで説明しているのはスタンダードな聖観音の梵字のことです。

観音菩薩も地蔵菩薩と同じく六道に現れる六観音っていうのがいるし(聖観音、千手観音、馬頭観音、十一面観音、不空羂索観音(天台宗)/准胝観音(真言宗)、如意輪観音)、33の姿に变化するとも言われています。三十三間堂の名前の由来ですよね。とにかく33がキーナンバーなので、四国三十三観音霊場、中国観音霊場、近畿観音霊場、西国三十三箇所観音霊場(岐阜にもあるよ!)などがある。33にちなんで33年に一度しか御開帳しない秘仏もあるってよ。

私の個人的な萌えポイントは、観音様は菩薩としては位が高いので、不動明王を従者とすることもあるってところだよ! 不動明王、そうだね、ゆっくんのお世話をこれからもどうぞよろしくお願いします。

あとねぇ、「華厳経」っていう経典に書かれた善財童子との会話の中に「私は大悲の法門、光明の行を実践することで一切の救う誓を立てた」っていうのがあるらしいんですけど、光明! 光明だよ!光明だ〜〜〜!! これは光明っていう単語に反応しているだけのオタクです。かわいそう。

熊倉さんの梵字:弥勒菩薩

ここで問題の弥勒菩薩ですよ。熊倉さんが着ていた梵字、命ある者たちを救いたいという弥勒菩薩の本質を表すユの梵字、それは弥勒菩薩および弥勒如来の種字なのです。

真言は「オン・マイタレイヤ・ソワカ」梵名はマイトレイヤ。慈しみから生まれたものっていう意味で、慈尊とも呼ばれているよ。罪を消して災いを除いてくれるの。ちなみにオウム真理教で言うと上祐史浩と同じ位になるので、いかに重要な立ち位置であるかがおわかりいただけるかと思います。例えておいてなんだけど、オウム真理教で例えないでほしい。

仏像も有名なものが多いんだけど、出家者のようなシンプルな身なりで美しい身体のフォルムを持った仏像が多いですよね。広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像は、我が国の国宝第一号ですよ。すごい! 半跏思惟っていうのは、台座で座禅をして左脚だけ降ろして「どのようにすれば衆生を救うことができるのか」を考えている姿のことなんだけど、半跏思惟といえば弥勒菩薩と言われるくらい弥勒菩薩に多い独特のポーズです。

そもそも弥勒菩薩ってなんなのって話だよね。ごめんごめん説明します。弥勒菩薩はね、お釈迦様の次に悟りを開くことが約束された菩薩(悟りを開くと仏の中でも超エリートグループの如来になります)なんだよ。釈迦直々にご指名を受けてるっていう点がポイントで、次世代のセンターの地位を約束されているんだよね。今は須弥山の頂上にあるみんな大好き六欲天の第4天・兜率天で絶賛修行中。

兜率天ってさぁ、こう、なんていうか、独特なんですよね。六欲天の中でも沈に非ず浮に非ずっていう、とても居心地のいいところみたいです。知らんけど。弥勒菩薩が兜率天に生まれ変わる前には体中から紫金色の光明を放ったといいます。光明! やっぱり光明! 兜率天で修行を続け、今から数えて56億5500年後くらいに如来となって姿を現すらしいので、正座して待ってる。早く会いたいよ。そのときは MATA(C)TANA! って言ってほしい。

弥勒信仰は特に平安時代の末法思想の終末観の中で、また戦国乱世の予言思想で流行したらしいんだよね〜。今の令和のムードにもぴったりだとは思っている。平安時代には阿弥陀の極楽浄土と弥勒の兜率天どっちがいいかっていう論争があったらしくて、空海は兜率天推しだったそうです(兜率天は弥勒だけでなく釈尊が修行した場所でもあるしね)。わっかるぅ解釈一致!

阿弥陀信仰が「極楽へ行きたい」なら弥勒信仰は「兜率天に行きたい」となるわけですが、この現代にぎふ葵劇場の座席で56億5500年後の奇跡を観ることになるとは思わなかった。上生信仰よろしく兜率天往生を果たした気分です。やっと会えたね。

仏教の仏さまはインド神話がもとになっているものが多いのですが、弥勒菩薩のルーツはインド神派のミトラ神で、さらにミトラ神のルーツはゾロアスター教の太陽神だったと言われています。その眩しさ、太陽神由来だったんですね… じゃあしょうがない… じゃあしょうがない…。

話は飛ぶけど、如来を目指す菩薩の修行に「六波羅蜜」っていうのがあるんだけど、もうもはや朱雀のお稽古は六波羅蜜なのでは? みたいな気分にさえなってきたよね。見返りを求めない慈悲、自らを戒めること、どのような辱めも耐え忍ぶこと、ひとときも絶えず努力すること、精神を沈め集中すること、物事を正しく観察して迷いを断ち切ること、真理と生命を見つめること。なんか、ねぇ?

もうひとつ朱雀っぽさを足しておくと、仏教の世界観だと現在の現世って仏がいない時代ってことになっているんですってね。でも、それだとあんまりにもしんどくないかねってことで、すごい働いてくれる菩薩たちが人類をヘルプしてくれてて、そのツートップが地蔵菩薩と観音菩薩なんですよ。いくら仏と言えどもあまりにオーバーワークなのでは…? っていうところで、颯爽と現れるプレイングマネージャーのような存在が弥勒菩薩なんですよねぇ(かなり語弊がありますがこの設定でいきたいと思います)。全力で働く祐也くんと創さん、そこで颯爽とたくさんのアクションをやってのける熊倉さん。う〜ん解釈一致。

このままだとなんぼでも書いてしまいそうなのでこのへんでやめるけど、今回もこのツイートを引用しておきたいと思います。

返す返すも、この梵字を着てたのが熊倉さんで本当によかった。なにせ都合が良すぎる。あまりに私にとって都合が良すぎる展開なので、実は全部私の幻覚なんじゃないの? と疑ったこともありましたが、配信日だったおかげでばっちり再確認できたよね。ありがとう、ありがとう、56億5500年分愛してる。

儀輝くんの梵字:風天=風神

よしきくんの衣装の梵字はおそらく風天=風神を表す梵字なんじゃないかと思います。衣装の筆跡にすごく癖があるので判読が難しく、他にも似ている梵字はあるので、間違ってるかもしれない。でも智之さんの梵字とセットで解釈の辻褄は合うので、自分の中ではそういうことにしておきたい。

この衣装の梵字はホンッッットに読み取りが難しくて、いっときは諦めかけたんだけど、配信があったおかげで当たりを付けることができました。これたぶん去年まなちゃんが着てたやつだと思うんだよね。去年もなんだかわからなくて諦めたので、リベンジできてよかった。

風天の真言は「オン・バヤベイ・ソワカ」で梵名はヴァーユ。十二天のひとりである風天は吹き抜ける風を神格化したものって言われてます。その風天をモデルに、空を自在に吹いて回る風を神格化したものが風神。風天って言われるとピンと来ないけど、風神雷神って言われると聞いたことある気がするでしょ?

風神の見た目のイメージは俵屋宗達の「風神雷神図」が圧倒的に有名すぎて、あの屏風絵以降はだいたいあのイメージで定着したらしい。風神が喜ぶと、人々の心身が健全で安らかになり、国土の災いがなくなるって言われているんですよ。

復活公演から比べるとめちゃくちゃ立派になって、特に三部で風のように踊るよしきくんにはぴったりだな〜〜ってうれしくなっちゃった。

智之さんの梵字:水天=雷神

智之さんの梵字もなんだかわかんなくて苦労した。梵天を表す梵字にも似ているけど、そうするとなんかバランスが悪くなるんだよな〜って思っていたの。

ある夜うーんうーんって考えながら眠りに落ちる寸前、突然のひらめきが襲ってきて「あれ、もしかしてあそこ風神雷神のセットじゃない?」ってなって、急いでメモして寝落ちした。まさに天啓ってやつ。

そしたらさ、めっちゃしっくり来るじゃん、よしきくんと智之さんで風神雷神! 軽やかな風のように踊るよしきくんと太鼓打ち鳴らす勢いのお祭り男智之さんの風神雷神、解釈完全一致です!!!!! となりまして、もしかしたら違うかもしれないんだけど、私の中ではこの解釈でいくことにしました。違うんだったらあの梵字なんなんだよ〜知りたいよ〜え〜〜〜ん;;

で、智之さんの梵字は水天=雷神ってことにしてですね、真言は「オン・バロダヤ・ソワカ」梵名はヴァルナです。水天、日本では水天宮信仰で有名ですよね。水と豊穣の神であり、龍属であるって言われています。

万物を育成させる力があるとして、子育てにもご利益があると言われているんだけど、その点も今の智之さんにぴったりでなんかいいな〜〜ってなりました。にこにこ。

その水天をモデルにしているのが、雨を司る神、雷神。こちらも俵屋宗達の「風神雷神図」のイメージが圧倒的ですよね。水や雲を呼び雨を降らせる力を持つ雷神が喜ぶと、人々の乾きは取り除かれ、雨が必要なときに降ると言われています。昔の人は水害や雷に対する恐れを強く持っていたので、恐怖心と共に敬われ、恐れられた存在だったんでしょうね〜。

怖いかどうかはともかく、太鼓をどかどか鳴らしてわーわー騒いでくれそうな智之さんに雷神はぴったりだなって思います。風神雷神、よしきくんと智之さんが反対だったら「???」ってなってたもんね、たぶんね。

とにかく世界観がすごい

これがどこまで意図した世界観なのか私にはわからないけれども、個々の世界観と全体観の整合性がすごいなって思うときある。いっぽうでめっちゃ適当だなww って思うこともあるんだけど、きっと誰かが何らかの形でこだわり抜いたに違いないと思える世界観の断片がそこにはある。

いや梵字が入った衣装を着てきただけでここまで妄想を広げる客もそうそういないのかもしれないですけど、私はそこに純密の胎蔵界曼荼羅を見てしまうし、本当に自然に解釈が一致している。これはすごいことですよ。

密教オタクが自分の観たいものを観たいように見出してなお、解釈が破綻しない。作り込まれているからなのか、隙や余地があるからなのか、まったく全然わからない。わからないけど解釈一致。万歳ハレルヤ! おめでとう私!!

この観点で道心〜光明、道心〜敦盛を観るとどう感じるのかっていうことも語りたいのですが、それはまた機会と気力があったら別のブログで書きたいと思っています。道心の熊倉さんのことだけで4本くらい論文が書ける勢いですし。はじめから最後まで、ずっと熊倉さんにやられっぱなしの岐阜2020は兜率天でした。

56億5500年後もずっと応援しています… ぱたり。

現場からは以上です。御清聴ありがとうございました。