夜にひしぐは神おろし

お芝居とか映画とか好きなものの話を諸々。自分のためのささやかな記録。

朱雀岐阜2020の梵字に56億5500年後を見て兜率天往生したっていう話

こんにちは、誰も得しないけど私だけがハッピーになることでおなじみの梵字ブログの時間です。毎度のことながら前提をすっ飛ばして朱雀岐阜2020で観た祭男爵の衣装の話をしますね。(そもそも前提を知ってる人しか読まないでしょこのブログ)

念のため、前回までのあらすじが必要な人はこちらの2本から順にどうぞ。

いちおう今回も注意書きをしておきますけど、ここで書く話はちょっと密教好きなオタクがライトな解釈を妄想レベルで語る話なんで、正解とかはないし完全に私だけの妄想です。あとホントは出典とか全部書きたいところなんだけど、もうそういうのも全部省略するので記事全編を通してひたすら「要出典」ということでお願いします。なにせライトな梵字オタクなので…。

来ると思ってなかった梵字が来た

いや、来ないと思ってたんですよ、梵字。シャナナのセンターを張るなおちゃんが不在なので、シャナナは絶対にやらないって分かっていたし、やらないならわざわざ梵字衣装出して来なくない? って思っていた。それにもし出してくるなら配信のない日だろうなと思ってたので、25日が終了した時点でもうないものとタカをくくっていたんですよね〜〜かわいそうなオタク!

そしたら来ちゃった。何よ。来るなら先に言いなさいよ。26日昼公演。舞台の照明がパッと点いた時点で白目を剥きました。そこからマイ両眼が全員分の梵字をスキャンするのにかかった時間、ほぼ30秒。私は、私は、この時点でわりと臨界点に達していたので、私は、ちょっと自分のスイッチを切っちゃったところあるよね… 人体には限界というものが存在するので… 情緒の限界を感じていったん心のやわらかいところの回路を絶ちました。

「楽しんでいこうや〜!」じゃないんですよ。お気持ちが限界。無理みの無理。「ヨーソイ!」じゃないんですよ。よしきくんのファンサを直接もらって超絶ハッピー✨なはずが、情緒が焼き切れているのでなんかもうフリーズするしかなかったですよね… 強いおくすりには許容量ってもんがある。

なんでかっていうと、何度でも同じツイートを貼って申し訳ないんですけど、ちょっとここまで巻き戻って話をはじめないといけないんですよ。

ゆっくんの梵字が不動明王で、Final公演のときの太一くんの梵字が大日如来だったっていう話は前回書いたんですけど、来ちゃいましたよね、最後の大物が。その衝撃に耐えられなくて、いったんなかったことにしちゃったっていうか。あとでフォロワッサンから「梵字なんだったの?」って聞かれたのに「うんちょっと後でするわその話」などと塩対応をしてしまうレベルで動揺していました(塩対応してマジごめんね)。

それぞれが着ていた衣装の梵字

それぞれの衣装にどういう梵字が描かれていたのかは以下のとおりです。ちょっと読み取りが難しくて「たぶん」レベルのものもあるんですが、解釈としては一致するってことで挙げています。観てない人にもわかりやすいかな〜ということで衣装着てたときのイメージも描いてみました。

梵字衣装のイメージ

  • 須賀くんの梵字:韋駄天(26日夜と千穐楽は帝釈天で登場)
  • 祐也くんの梵字:地蔵菩薩
  • 創さんの梵字:観音菩薩
  • 熊倉さんの梵字:弥勒菩薩
  • 儀輝くんの梵字:風天=風神(たぶん…)
  • 智之さんの梵字:水天=雷神(たぶん…)

ねぇちょっと聞いてくださいよそうなんです我らが熊倉功が弥勒菩薩を背負って出てきたんです都合が良すぎないですか?

なんぼなんでも都合が良すぎないですか???

💢 💢 💢 💢 💢 💢

そもそも熊倉さんが大好きなのは認めざるを得ない事実なのですが復活公演でキレキレの傘持ちだった人が道心でセンターっていう私へのご褒美みたいなすごいやつでアレしてきてそのおかげで19日昼公演から都合4回きっちり昇天したというのにそれに相応しい格の梵字を背負ってどーんとやってくる推しを観てどうすればいいんですか???(ここまで一息)

あっちなみに私は24日昼夜の舟唄組曲が全編通していちばん刺さってしまい、このままだと舟唄組曲の亡霊になりそうです。ああいうタイプの舞踊がいちばん好きなうえ、ビジュアルも構成も最高だった… フナウタクミキョク… なぜ映像に残らなかったのペンノレ… お写真だけは上げてもらってすごくうれしかった… うっうっ………………………

 

(舟唄組曲を思い出してダメになったのでいったん休憩)

 

はい、話が逸れましたけれどもね、とにかくですね、仏教界の三大推しが大日如来、不動明王、弥勒菩薩であるオタクのところに飛び込んできた梵字「ユ」の一文字、あまりに破壊力がつよつよだった。熊倉推しの私にとって都合が良すぎて「こんな都合のいい熊倉功がいるわけがない」っていうベストセラー小説が生まれてもおかしくなかった。たぶん芥川賞取っちゃう。たぶんもうすでに取ってる。

とりあえず私の言いたいことは以上ではあるのですが、せっかくなのでそれぞれの梵字の意味するところの説明とか、ちょっとした小話とか、まとめたいと思います。

須賀くんの梵字:韋駄天&帝釈天

韋駄天

須賀くんは26日昼公演の祭男爵では韋駄天を着ていました。真言は「オン・バザラ・ケンダ・ソワカ」だよ。梵名っていう名前がいっぱいあることも特徴なんだけど、基本的には「跳ぶもの」っていう意味で呼ばれているみたい。

韋駄天は去年は大五郎さんが着ていたはずなので(要確認)、主力になりうる助っ人クラスの人に着せる梵字なのかな〜と想像していました。韋駄天は走力の象徴なので、サッと来てパッと演れる! みたいな感覚が朱雀の助っ人にちょうど当てはまる感じがするよね。天部の中でいちばんの俊足で、お釈迦様の骨(舎利)から歯が盗まれたときに、天上界の頂上まで一瞬で駆け上がって取り返したっていうエピソードがあります。

増長天(みんな大好き四王天にいる四天王のひとりだよ)の部下である八将の一神で、僧の住居や台所を守る神とも言われてるらしい。一般的なご利益もいろいろあるんだけど、なぜか寺院の守護がメインみたいな感じになっているせいで、信仰の対象にはなりづらいところがあったみたい。韋駄天走りが言葉として有名だから、知名度は抜群なんだけどね。

修行僧が悪魔に悩まされるときは走ってきて救ってくれるっていうご利益があるそうなので、お稽古という名の修行でみちみちになってるカンパニーへの最強の助っ人っていうイメージにぴったりだね。

一般的にはスカンダっていう梵名であることが多いけど、ヒンドゥー教ではカルティケーヤとも呼ばれていて、6つの顔を持った少年神であるとされているらしい。6人分のパワーを持っていて、64の名前を持つくらい多面性を持ったエネルギッシュな神がルーツになっている仏なので、まーなんていうか元気がいちばん! って感じ。須賀くんあざーす!!

実は岐阜にはめちゃくちゃ有名な韋駄天像があるんですよ。瑞甲山乙津寺にある臨済宗妙心寺派の韋駄天立像がそれです。鎌倉時代のものらしくて重要文化財に指定されてます。なにより、乙津寺のご本尊は不動明王らしいのでめっちゃ気になるし、弘法大師の坐像もあるんですって! いつか葵劇場が岐阜に復活したら、合わせて行ってみたいなぁ。

帝釈天

26日夜公演と千穐楽では、帝釈天の梵字を着てました。真言は「ナウマク・サマンダボダナン・インダラヤ・ソワカ」、この真言を唱えれば国家安泰、人々は金銭に困らなくなるというやつです。

ねぇ〜、なんで千穐楽にはこっちを着せたのか、小一時間理由を問うてみたいよね〜!! 単にサイズの問題だったのか、何かしら意図があって格を上げたのか。単に衣装のサイズ感の問題だったんじゃないかって気もしてるんだけど、でももしかしたら深〜い意味があるかもしれないじゃん! しれないじゃん!

帝釈天っていうのはね、みんな大好き六欲天の中の第2天・忉利天の主なんだよ。忉利天の下にあるのは、そうだね、みんな大好き六欲天の第1天・四王天だね。四王天には四天王がいるけれど、帝釈天は四天王に人々を見張るように命じ、人々の動きを報告させていると言います。韋駄天から考えると、だいぶ出世した感じがしますね。

天界最強の軍神なんだけど、いろいろダメなところが多くて、人間みのあるエピソードがたくさんある。あと阿修羅とあくなき戦いを繰り広げていることでも有名。阿修羅の娘を奪っちゃったからなんだけど。

イメージで言えば須賀くんのイメージとは違うけど、お芝居の中で繰り広げられた須賀くんへの風評被害シリーズを当てはめればちょうどよくなるかもしれない(笑)。

祐也くんの梵字:地蔵菩薩

舞台が明るくなって最初に目に入ったのが祐也くんの地蔵菩薩の梵字だったので、わ、わ、わかり〜〜〜!!! ってなりましたよね。この梵字は「笑い」や「喜び」を表すとされているんだよ〜。祐也くんにぴったりすぎてニコニコしちゃった。

真言は「オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ」、梵名はクシティガルバって言います。大地のように揺るがず、無限の力を持つという意味を持っていて、お地蔵様を拝むのは大地を拝むのと同じことらしいです。

子どもの守護尊としてのイメージが強くて、子どもを抱いていたり自身が子どもの姿をしていることが多い仏様だけど、お地蔵様の姿にも複数の基本形があるんだよ。祐也くんの場合は、如意宝珠+錫杖を持ってるパターンで解釈したいな〜。錫杖は旅姿を意味しているので、旅から旅への大衆役者にもぴったりだなって思う。

まーしかしホントにお地蔵さんほど身近に親しまれている仏はいないよね。偉ぶっておらず、いつも庶民目線で、お寺以外にも村のはずれから山頂まで様々な場所で見守ってくれている。もはや仏教を離れた民間信仰と言ってもいいくらい。日本に現存する仏像の中で最も数が多いのは地蔵菩薩らしいよ。

現世では観音菩薩と並んで最も仕事をしているエース級の菩薩なんですよ。なんせ28種+7種のご利益があると言われてるくらい出血大サービス。そもそも菩薩っていうのは仏の中でも直接人々を救うことを指名とした絶賛修行中の集団なのだけれど、その中でもトップクラスの働き者なんだよね。ありがとうお地蔵様。

あと「月夜の一文銭」ってお芝居あったじゃないですか。本編とは全然関係ないけど、一文っていうのがまたお地蔵さんを連想するんだよね! 地蔵菩薩は六道を巡って人々に救いをもたらしてくれるんだけど、三途の川の渡り船の料金として六文銭が必要っていうのは、六道を救済する六地蔵に一文ずつお供えすることから来ているのだ! がじろうと三次の待ち合わせが一本松の前なのかお地蔵さんの前なのか結局わかんなくて3年と5年の時空を超えちゃったけど、「月夜の一文銭」めちゃくちゃよかったなぁ…。

あっそうそう、ちなみになんですけど、地蔵菩薩が地の蔵なら、天の蔵は虚空蔵菩薩なんです。対ってことです。虚空蔵菩薩は太一くんの梵字っていうのは前回書きましたけど、つまりはそういうことです。ちょっと遡って仏のルーツであるバラモン教を見てみると、地蔵は地神プリティヴィー(雌牛)、虚空蔵は天神ディアウス(雄牛)とされるんだそうです。この二神は合わせてディアバー・プリティビーと呼ばれ、えっなに夫婦ですか? びっくり! 突然の夫婦説。日本では虚空蔵菩薩と地蔵菩薩を一対として安置している例は少ないらしいけど、京都の広隆寺などは対になってるみたいです。

虚空蔵菩薩の話が出てきたから、もうちょっと脱線してもいいですか? 虚空蔵菩薩って星辰信仰(自然崇拝のひとつで太陽・月・星を、神秘的な力をもつものとして尊ぶ思想のこと)とも関係してるらしいですよ。岐阜にも星宮神社っていうのがありますでしょ、あれは御神体が虚空蔵菩薩だからみたいです。虚空蔵求聞持法が成就するとき、天空から星が降るのだそうで。これは空海24歳のときの体験談として本人が「三教指帰」に「明星が天降った」と書いていることでもあります。(これはおかざき真里先生の「阿・吽」との解釈違いでもありますね、でもおかざき先生の描かれたあの世界観も私は大好きだよ)

ところで岐阜の柳ヶ瀬にもお地蔵様がいるって知ってました? 私は知らなかったので、拝観せずに帰ってきちゃった! 残念! 手前のブロックまでは散歩したのに惜しい! 弥八町にある誓安寺の弥八地蔵尊、岐阜に葵劇場が復活したら絶対行きます。

創さんの梵字:観音菩薩

創さんが着ていた衣装は観音菩薩の梵字だと思います。衆生の真理を求める心を観察して、悟りの世界へと導いてくれることを意味している字なんだよね〜。

真言は「オン・アロリキヤ・ソワカ」、梵名はアバロキティーシュバラ。あらゆる方角に顔を向け救済するという意味で、世界中の様々な人をまんべんなく見て助けてくれるハイパー面倒見のいい仏なのです。観音っていうのが「音に通じる」という意味なので、救いを求められたらすぐに応えるっていうことなんですよね。

そもそも慈悲を神格化した存在であり、慈悲のカリスマと言って差し支えない観音様は、ご利益の守備範囲が無制限で祈り放題。どんな携帯料金よりもわかりやすい。しかも本来は菩薩よりも位の高い正法妙如来っていう超エリートクラスの仏なのに、人々を直接救うためにわざわざ菩薩の立場となって現れてくれているんだよ。現世利益的なご利益が多いのにはそういう理由もあるんだね。創さんっぽいじゃん〜〜。そこはかとなく朱雀での創さんのイメージっぽいじゃん〜〜。

本来は男性であったようだけれど、いろいろあって女性的なイメージも強くなり、今では性別はないんじゃない? くらいの感覚らしい。最先端。とにかくいろいろな姿で現れるので情報過多って感じの観音様なのですが、ここで説明しているのはスタンダードな聖観音の梵字のことです。

観音菩薩も地蔵菩薩と同じく六道に現れる六観音っていうのがいるし(聖観音、千手観音、馬頭観音、十一面観音、不空羂索観音(天台宗)/准胝観音(真言宗)、如意輪観音)、33の姿に变化するとも言われています。三十三間堂の名前の由来ですよね。とにかく33がキーナンバーなので、四国三十三観音霊場、中国観音霊場、近畿観音霊場、西国三十三箇所観音霊場(岐阜にもあるよ!)などがある。33にちなんで33年に一度しか御開帳しない秘仏もあるってよ。

私の個人的な萌えポイントは、観音様は菩薩としては位が高いので、不動明王を従者とすることもあるってところだよ! 不動明王、そうだね、ゆっくんのお世話をこれからもどうぞよろしくお願いします。

あとねぇ、「華厳経」っていう経典に書かれた善財童子との会話の中に「私は大悲の法門、光明の行を実践することで一切の救う誓を立てた」っていうのがあるらしいんですけど、光明! 光明だよ!光明だ〜〜〜!! これは光明っていう単語に反応しているだけのオタクです。かわいそう。

熊倉さんの梵字:弥勒菩薩

ここで問題の弥勒菩薩ですよ。熊倉さんが着ていた梵字、命ある者たちを救いたいという弥勒菩薩の本質を表すユの梵字、それは弥勒菩薩および弥勒如来の種字なのです。

真言は「オン・マイタレイヤ・ソワカ」梵名はマイトレイヤ。慈しみから生まれたものっていう意味で、慈尊とも呼ばれているよ。罪を消して災いを除いてくれるの。ちなみにオウム真理教で言うと上祐史浩と同じ位になるので、いかに重要な立ち位置であるかがおわかりいただけるかと思います。例えておいてなんだけど、オウム真理教で例えないでほしい。

仏像も有名なものが多いんだけど、出家者のようなシンプルな身なりで美しい身体のフォルムを持った仏像が多いですよね。広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像は、我が国の国宝第一号ですよ。すごい! 半跏思惟っていうのは、台座で座禅をして左脚だけ降ろして「どのようにすれば衆生を救うことができるのか」を考えている姿のことなんだけど、半跏思惟といえば弥勒菩薩と言われるくらい弥勒菩薩に多い独特のポーズです。

そもそも弥勒菩薩ってなんなのって話だよね。ごめんごめん説明します。弥勒菩薩はね、お釈迦様の次に悟りを開くことが約束された菩薩(悟りを開くと仏の中でも超エリートグループの如来になります)なんだよ。釈迦直々にご指名を受けてるっていう点がポイントで、次世代のセンターの地位を約束されているんだよね。今は須弥山の頂上にあるみんな大好き六欲天の第4天・兜率天で絶賛修行中。

兜率天ってさぁ、こう、なんていうか、独特なんですよね。六欲天の中でも沈に非ず浮に非ずっていう、とても居心地のいいところみたいです。知らんけど。弥勒菩薩が兜率天に生まれ変わる前には体中から紫金色の光明を放ったといいます。光明! やっぱり光明! 兜率天で修行を続け、今から数えて56億5500年後くらいに如来となって姿を現すらしいので、正座して待ってる。早く会いたいよ。そのときは MATA(C)TANA! って言ってほしい。

弥勒信仰は特に平安時代の末法思想の終末観の中で、また戦国乱世の予言思想で流行したらしいんだよね〜。今の令和のムードにもぴったりだとは思っている。平安時代には阿弥陀の極楽浄土と弥勒の兜率天どっちがいいかっていう論争があったらしくて、空海は兜率天推しだったそうです(兜率天は弥勒だけでなく釈尊が修行した場所でもあるしね)。わっかるぅ解釈一致!

阿弥陀信仰が「極楽へ行きたい」なら弥勒信仰は「兜率天に行きたい」となるわけですが、この現代にぎふ葵劇場の座席で56億5500年後の奇跡を観ることになるとは思わなかった。上生信仰よろしく兜率天往生を果たした気分です。やっと会えたね。

仏教の仏さまはインド神話がもとになっているものが多いのですが、弥勒菩薩のルーツはインド神派のミトラ神で、さらにミトラ神のルーツはゾロアスター教の太陽神だったと言われています。その眩しさ、太陽神由来だったんですね… じゃあしょうがない… じゃあしょうがない…。

話は飛ぶけど、如来を目指す菩薩の修行に「六波羅蜜」っていうのがあるんだけど、もうもはや朱雀のお稽古は六波羅蜜なのでは? みたいな気分にさえなってきたよね。見返りを求めない慈悲、自らを戒めること、どのような辱めも耐え忍ぶこと、ひとときも絶えず努力すること、精神を沈め集中すること、物事を正しく観察して迷いを断ち切ること、真理と生命を見つめること。なんか、ねぇ?

もうひとつ朱雀っぽさを足しておくと、仏教の世界観だと現在の現世って仏がいない時代ってことになっているんですってね。でも、それだとあんまりにもしんどくないかねってことで、すごい働いてくれる菩薩たちが人類をヘルプしてくれてて、そのツートップが地蔵菩薩と観音菩薩なんですよ。いくら仏と言えどもあまりにオーバーワークなのでは…? っていうところで、颯爽と現れるプレイングマネージャーのような存在が弥勒菩薩なんですよねぇ(かなり語弊がありますがこの設定でいきたいと思います)。全力で働く祐也くんと創さん、そこで颯爽とたくさんのアクションをやってのける熊倉さん。う〜ん解釈一致。

このままだとなんぼでも書いてしまいそうなのでこのへんでやめるけど、今回もこのツイートを引用しておきたいと思います。

返す返すも、この梵字を着てたのが熊倉さんで本当によかった。なにせ都合が良すぎる。あまりに私にとって都合が良すぎる展開なので、実は全部私の幻覚なんじゃないの? と疑ったこともありましたが、配信日だったおかげでばっちり再確認できたよね。ありがとう、ありがとう、56億5500年分愛してる。

儀輝くんの梵字:風天=風神

よしきくんの衣装の梵字はおそらく風天=風神を表す梵字なんじゃないかと思います。衣装の筆跡にすごく癖があるので判読が難しく、他にも似ている梵字はあるので、間違ってるかもしれない。でも智之さんの梵字とセットで解釈の辻褄は合うので、自分の中ではそういうことにしておきたい。

この衣装の梵字はホンッッットに読み取りが難しくて、いっときは諦めかけたんだけど、配信があったおかげで当たりを付けることができました。これたぶん去年まなちゃんが着てたやつだと思うんだよね。去年もなんだかわからなくて諦めたので、リベンジできてよかった。

風天の真言は「オン・バヤベイ・ソワカ」で梵名はヴァーユ。十二天のひとりである風天は吹き抜ける風を神格化したものって言われてます。その風天をモデルに、空を自在に吹いて回る風を神格化したものが風神。風天って言われるとピンと来ないけど、風神雷神って言われると聞いたことある気がするでしょ?

風神の見た目のイメージは俵屋宗達の「風神雷神図」が圧倒的に有名すぎて、あの屏風絵以降はだいたいあのイメージで定着したらしい。風神が喜ぶと、人々の心身が健全で安らかになり、国土の災いがなくなるって言われているんですよ。

復活公演から比べるとめちゃくちゃ立派になって、特に三部で風のように踊るよしきくんにはぴったりだな〜〜ってうれしくなっちゃった。

智之さんの梵字:水天=雷神

智之さんの梵字もなんだかわかんなくて苦労した。梵天を表す梵字にも似ているけど、そうするとなんかバランスが悪くなるんだよな〜って思っていたの。

ある夜うーんうーんって考えながら眠りに落ちる寸前、突然のひらめきが襲ってきて「あれ、もしかしてあそこ風神雷神のセットじゃない?」ってなって、急いでメモして寝落ちした。まさに天啓ってやつ。

そしたらさ、めっちゃしっくり来るじゃん、よしきくんと智之さんで風神雷神! 軽やかな風のように踊るよしきくんと太鼓打ち鳴らす勢いのお祭り男智之さんの風神雷神、解釈完全一致です!!!!! となりまして、もしかしたら違うかもしれないんだけど、私の中ではこの解釈でいくことにしました。違うんだったらあの梵字なんなんだよ〜知りたいよ〜え〜〜〜ん;;

で、智之さんの梵字は水天=雷神ってことにしてですね、真言は「オン・バロダヤ・ソワカ」梵名はヴァルナです。水天、日本では水天宮信仰で有名ですよね。水と豊穣の神であり、龍属であるって言われています。

万物を育成させる力があるとして、子育てにもご利益があると言われているんだけど、その点も今の智之さんにぴったりでなんかいいな〜〜ってなりました。にこにこ。

その水天をモデルにしているのが、雨を司る神、雷神。こちらも俵屋宗達の「風神雷神図」のイメージが圧倒的ですよね。水や雲を呼び雨を降らせる力を持つ雷神が喜ぶと、人々の乾きは取り除かれ、雨が必要なときに降ると言われています。昔の人は水害や雷に対する恐れを強く持っていたので、恐怖心と共に敬われ、恐れられた存在だったんでしょうね〜。

怖いかどうかはともかく、太鼓をどかどか鳴らしてわーわー騒いでくれそうな智之さんに雷神はぴったりだなって思います。風神雷神、よしきくんと智之さんが反対だったら「???」ってなってたもんね、たぶんね。

とにかく世界観がすごい

これがどこまで意図した世界観なのか私にはわからないけれども、個々の世界観と全体観の整合性がすごいなって思うときある。いっぽうでめっちゃ適当だなww って思うこともあるんだけど、きっと誰かが何らかの形でこだわり抜いたに違いないと思える世界観の断片がそこにはある。

いや梵字が入った衣装を着てきただけでここまで妄想を広げる客もそうそういないのかもしれないですけど、私はそこに純密の胎蔵界曼荼羅を見てしまうし、本当に自然に解釈が一致している。これはすごいことですよ。

密教オタクが自分の観たいものを観たいように見出してなお、解釈が破綻しない。作り込まれているからなのか、隙や余地があるからなのか、まったく全然わからない。わからないけど解釈一致。万歳ハレルヤ! おめでとう私!!

この観点で道心〜光明、道心〜敦盛を観るとどう感じるのかっていうことも語りたいのですが、それはまた機会と気力があったら別のブログで書きたいと思っています。道心の熊倉さんのことだけで4本くらい論文が書ける勢いですし。はじめから最後まで、ずっと熊倉さんにやられっぱなしの岐阜2020は兜率天でした。

56億5500年後もずっと応援しています… ぱたり。

現場からは以上です。御清聴ありがとうございました。

『両国花錦闘士』明治座マイ楽を終えてのまとめ(ネタバレありで照明と演出のメモをまとめるよ)

【前回までのあらすじ】

両国花錦闘士の明治座初日に行ったあと、おめでとうしか言ってないのでは? というブログを書きました。おめでとうの気持ちは今も変わらないよ。

yahishigi.hatenablog.jp

冷静に読み返すとちょっと何言ってるかわかんないですね。いいと思う。そういうブログがあったっていいじゃない。こまけぇこたぁいいから景気よく行こうよ。

そんなこんながあり、明治座観劇をおかわりしました。いやホント、しみじみよかった。トンチキとか言ってる人誰ですか? 解釈違いじゃないですか? こんなにも心が熱くなるお話を観て、トンチキとか称するのおかしくないですか? 本当に反省しています。

カロリーの高いつぶやきやブログを繰り出している様々なオタクたちが、観劇2回目からようやく人間の言葉みたいなものを話しはじめたのを多数観測したんですけど、私も例外ではなくてね。おかわりをして、ようやくなんかそれっぽいことを話せるようになった気がする。それっぽいって何か知らんけど。

というわけで、明治座おかわりを経てからのライブビューイングに行ってきたんですよね。ライビュ堪能済の私になりました。おめでとう、アップデートおめでとう。本当なら何度でも記憶を消去して大いなる祝祭をクリアインストールしたいけど、アップデートすることしかできないのが人間の肉体の限界。とぅらい。21世紀にもなってそんなのとぅらい。

しかも個人的な事情により、明治座の両国花錦闘士を観られるのは今回のライビュが最後になっちゃうのです。明治座ちゃん名残惜しいよ名残惜しいよの気持ちと映像で観られる興奮とで、まぁ情緒不安定でしたよね。でもすごいよくて〜〜〜〜ライビュすごいよくて〜〜〜〜。

劇場内のお客さんの空気もあったまってて最高だったし、ライビュのカメラワークもおおむね満足だったしで、ほこほこしながら帰ってきたんですけど、でもどうしても一点だけ残念なシーンがあって、もしもあれが映像に残らない可能性があるというのなら、それは損失だ! 書き残して後世へ伝えねば… というお気持ちになりました。なので、これを書いています。

それともうひとつ、自分のための記録を残しておきたい動機があって。とにかく照明が好きなんですよね。今回照明スタッフを担当されている原田保さんの照明デザインが大好きなんです。お芝居的にはノーマークだったのになぜか狂って帰ってきちゃって、何が起こってるかわかんないな〜みたいなとき、だいたい照明スタッフの欄に原田さんの名前がある。これはもうしょうがない。

お芝居が好きな人は、みんなそれぞれ音楽に弱いとか衣装に弱いとか、いろいろあるじゃないですか、個人的なツボみたいなもの。私の場合、光刺激なんですよね。光刺激でおかしくなるタイプのオタクなので、すごい光にやられがち。私の光受容体にズッギュン衝突した光が電気エネルギーに変わり、ぎゅるんと第一次視覚野に届いたときには、もう完全にダメになっているよね、私がね。速いから… 光はとっても速いから… 。

例えDVDやBlu-rayになったとしても、光は閉じ込められないし持って帰れないんだよなぁ。光を浴びたときの高揚、脳がしびれるみたいな感覚、肌に感じる熱量みたいなもの。あれらのものたちが欲しい。だからまた浴びに行ってしまう。現地の光を浴びたくて。

何度でも私の脳を突き刺す光を作ってくれる原田さんの照明職人としての仕事が本当に大好きで、両国花錦闘士のライティングで好きだったことをメモしておきたいなって思ったんです。専門用語とかは全然わからなくて、観た感じと自分の語彙だけでメモしてる内容なので、おかしなこと言ってるかもしれないですけど、そこは大目に見てね。(これはこうだよ! って教えてくれる有識者のおともだちがいたら、マシュマロなどでのコメントいつでも歓迎です)

というわけで、このブログは演出&照明に関して、私が好きだなぁって感じたところをメモしておくためのやつです。普通にネタバレあり!

前置きが長くてびっくりしちゃった。いい加減にしてほしいよね。わかる。しかもここから先も誰得情報? っていう話かつ理解しづらい表現が続くよ。自己満足で書いているので自分にしか優しくなくてごめんね。じゃ、本題。

一幕冒頭の立ち合い前のシーン

一幕冒頭の立ち合い前のシーンでは昇龍が上手、雪乃童が下手でお互いをディスる心理描写が入る。あそこ、昇龍が話してるターンでは上手手前袖のサイドスポットからは青、下手手前袖のサイドスポットからは赤のライトが出てて、雪乃童の足元にも青い円が落ちてる。雪乃童が話すターンになると、左右の色が入れ替わる。

この青と赤の使い方がめちゃくちゃよくて、いきなり脳がジュッ!って音を立てるんだよね… そんなしょっぱなから焼かないでよ… って思っちゃうくらい。たとえば新感線の舞台なんかだとシアンとマゼンタの組み合わせをよく見るんだけど、この舞台ではザ・赤とザ・青。それで実直な感じとエキセントリックな感じ、両方出るんだね。照明、わからなすぎて奥深い。

ちょっと脱線するけど、シアンとマゼンタで最高オブ最高の景色を見せてくれたのは、新感線の『メタルマクベス』だよね…。どこのシーンかはここでは控えるけど、脳汁出るシーンがあるんですよね…。照明すごくて気になったって人は、ぜひメタマク観てみるといいよ。特にDisc2には原くん櫻子ちゃん徳ちゃんしんぺーさん南さんが出てるので…!

話を戻して、12/12ソワレのこのシーンではね、そのあと仕切りに入るとき、紙吹雪の紙みたいなのがひらひら1枚だけ落ちてきて行司役の南さんの前を通り過ぎていったの。あれが演出だったと言われても驚かない自然さで。そのときの構図の美しさが網膜に焼き付いてるんだ… ハプニングって、どんな小さなものでも人の心を動かしてくれちゃうよね…。

オープニング Naked Men のダンスシーン

初日にかなり前のほうの席に座っていたんだけど、ステージの面の手前に反射鏡が配置してあるのを見て、もう絶対にダメじゃんって覚悟したんだよね。鏡の反射を使ってレーザービームみたいな光を作るの、うますぎるんですよ。神なんですよ。みん! みん! って突き刺してくるんですよ、反射した光が。

特に新感線の『偽義経冥界歌』の反射ビームは強烈だったよね。おしゃりきの中でも偽義経を彷彿とさせるシーンあったよねぇ〜〜〜〜自縄自縛! 自縄自縛! 心の葛藤を光で表現するのがうますぎるぅ〜〜〜〜〜!!!

話が逸れたので戻しますけど、オープニングでもさっそくみんみん来ましたよね。紫・黄色・オレンジのライトがカクテルみたいに入れ替わりながら点滅しつつみんみんですよ。みんみんレーザーですよ。観てない人に絶対伝わる気がしないけど気にしないよね。私の頭の中に残るみんみんレーザーの映像を少しでも長く保つために必要なんですよこの記述は。

初見時のオープニングが終わった時点で千穐楽のカテコが終わった時相当の満足度だったので、狂い方の初速がとにかくおかしいんだよな。しょうがない。しょうがないよね。だってカクテルレーザーみんみん突き刺されながら、肌色の人間たちが歌って踊ってるのを浴びてるんだよ? トランスだよね。宗教ですよ。トゥーマッチネイキッドメン+女神たちによるプリミティブな祝祭。

CLUB 1990 での梅太郎のダンスシーン

このシーンさぁ! 1階席で観てると意味のわからないピカチュウショックみたいな衝撃がビリビリビリビリビリ! ってきちゃって、ナニモワカラナイ状態にさぁ! なっちゃうんだよなぁ! で、2階で観たらこんな精細にライトコントロールしてたんだ!!! ってなって感動した。

舞台中央のサスペンションライトっていうのかな? そこから細いライトがビシビシ明滅してんの。赤いライトがメインなんだけど、そこに白のライトが何本もビシビシビシビシ明滅してて、結局脳が焼き切れてぎゅえ〜ってなる。黄色も混じってたような気もするんだけど、脳がやられすぎて記憶が曖昧なので確かじゃない。なんなら混じってたんじゃないのって感じ(急に投げやり)。

ライビュだとライティングのピュアな魅力を感じるのが難しいシーンでもあるんだけど、そのぶん皇希くん演じる梅太郎のダンス技術と本物の煽り顔が寄りで抜いてもらえて、セクシー梅太郎を存分に堪能できましたよね… 梅太郎、積極的にお見合いしたい。ライビュ映像でのこのシーンは梅太郎の魅力を引き出しまくってた。

いや〜〜〜ホントこのシーンで声出せないのマジしんどい… 出ちゃうよ… 了くんDJがコールしてきたらナチュラルにレスポンスしちゃうじゃんよぉ! クラブのシーンを観てるっていうより、もはや明治座がクラブだもの、ヒューッ!って無意識に言いそうになっちゃうじゃんよぉ! それを我慢するの、けっこう大変でした。我慢したよ。えらい。

桜子とアイーダのシーン

ねぇ… アイーダ前に桜子が語るシーンさぁ… ピンスポ絞られたあとのシーンのことなんだけどね、舞台の面っていうか縁っていうか、客席に近い手前のところね、あそこに横一直線のラインを引くみたいに青いライトに照らされるの… あれはなになの… めちゃくちゃなになの… 舞台の縁だけに走る青いライン、2階から観るとまるで青い龍みたいじゃん… なになの… なになのかな… 桜子ったらいったいなになの???

アイーダがはじまると、背景だけじゃなくて床にもステンドグラスの図像が落ちるんだよね。桜子が立っている位置を中心に、ステンドグラスの丸い図像そのままに丸く落ちるの。力士が出てきた時点で同じ丸い模様が床全面にリピートされてくるくる回るの。

私西洋美術に詳しくないので、全然見当違いだったらごめんなんだけど、ここで使われてるステンドグラスのモチーフってサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の「キリストの降臨」なんじゃないかな? って思っていて、これはマジで有識者の情報が欲しいところよ…。

須藤王の Shadow リサイタルのシーン

須藤王の金色のガウンと裏地の赤がめちゃくちゃかっこよすぎて、その時点で情緒が飽和状態なんだけど、ここのライトは丸いライトが6連になってイモムシみたいな形の光なの、で、それがくるくる回るの。色は最初オレンジからはじまって、後の方でいろいろな色に変わる。

このシーンは徳ちゃんの歌声のほうに気を取られているので、わりと記憶が音に寄っているな。そういうシーンもあるねぇ。うん、ある。

桜子が「私のための男たち」を歌うシーン

もうここの照明がさぁ! 徹頭徹尾桜子! って感じでさぁ! めそ… めそ… 最高すぎてうまく説明できる気がしないんだよね… どぅん、どぅん、どぅん、どぅん、って鼓動みたいなビートがはじまるじゃないですか、そのビートに合わせて上手下手手前袖のサイドスポットが赤・青・赤・青って交互に切り替わる、つまり左右からどぅん、どぅん、どぅん、どぅん、って赤と青が来るわけよ。

スクリーンと桜子が立つ床には、単色の実相寺昭雄みたいなマーブリング模様がうねうね蠢きながら投影されるね。純ケツが出てくるところでは上からピンク寄りの紫で照らされて、桜子のキャラと純ケツのキャラがそれぞれ光の色で表現され分けてるのがめちゃくちゃいい。

終盤、歌詞「殺し尽くしたいみんな」のフレーズから、赤と青だったサイドスポットが赤と緑に変わるのね。桜子と綾小路が上手側に移動して2人で踊るところでは、上手手前袖のサイドスポットは消えてるか色がなくなってるかしてて、下手手前袖のサイドスポットが上下2段になる。色は赤緑で、点滅速度がこれまでの倍になるの〜〜〜!!! どぅん、どぅん、どぅん、どぅん、がどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんになるの!!!(伝われ?)

歌詞が「My men my men...」になるところで赤と青の反射レーザーが入れ替わり点滅しながらみんみん飛ぶやつに切り替わるのもぴえーんだよ。ちなみにレーザーの速度は元のビートの速度に戻るよ。

「Spring Storm!」のシーン

私 Spring Storm! が大好きで、これを歌う淳子いや櫻子ちゃんが大好きすぎてさぁ、この歌のMV作ってほしいんだよね… 「春は荒れる」のところの手の振りとか反則級のかわいさで… うっ、うっうっ。

このシーンでは舞台手前に大きめの丸いライトがたくさん落ちてくるんだよね。ピンク・黄色・白の3色で点滅する感じっていうか。土俵は黄色で照らされたりしてる。うまく説明できないから、自分の脳に電極刺して記憶を壁に投影したいよ…。

なんにしても、櫻子ちゃんの歌がつよつよすぎて、しゃくらこ! つよつよ! きゃわわ!! しゃくらこ! ! ってなってしまって、なんかもうそれに尽きますね。しゃくらこがかわいい。他に何が要るものか。

一幕ラスト、昇龍と桜子のベッドシーン

このシーンでもアイーダのシーンと同じようにステンドグラスの図像が背景と床に投影されるんだけど、アイーダのシーンと同じ図像ではなくて、聖堂ひとつぶんみたいな大きなステンドグラスなんだよね。力士たちがベッドを回し始めるあたりで、床に投影された図像が分割されて各々がくるくる回りはじめる。青くて小さなサスペンションライトがベッドを囲むように複数落とされてる。

これも詳しくないから違ったらごめんなんだけど、このシーンのステンドグラスのモチーフって、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の中央礼拝堂にあるやつなんじゃないかな〜。違うかな〜。有識者のご意見、切に切に求む。

幕間の名画たち

幕間にずっと席を外していた人は見逃してるかもしれないけど、この時間もちゃんとネタが展開されてたんだよね〜〜〜。ネタが何かっていうと、岡野玲子先生によって描かれ、単行本にも収録されている絵画のパロディー。何か見逃してたらごめんだけど、私が確認できた限りではドミニク・アングル「トルコ風呂」ラファエロ・サンティ「アテネの学堂」エドワード・バーン=ジョーンズ「黄金の階段」ピーテル・パウル・ルーベンス「マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸」の順で投影されてたと思う。

このイラストのクリアファイル作ってほしかったよね… 後出しでもいいし再演のときでもいいので、作ってくれるといいな…。ちなみに「幕間のそんな演出見逃しちゃったよ!!」という人は、岡野先生の原作本を買うと、先生の描いたそのイラストが見られるよ! Kindle版もあるから、Kindle派の人にも優しいね!

ライビュで笑っちゃったのは、「マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸」パロディーで描かれてる桜子・影浦・綾小路・昇龍にぐぐぐっとズームしたところですね。アピールポイントなのでめっちゃわかるけど、わかるけどおもしろくて笑ってしまった。

夜乃海と月乃浜がカレー食べ放題で会うシーン

2人が話してるシーンで床にくるくる落ちる色がレインボーカラーなんだよぉ。あのふたりかわいいよぉ。仲良くなれるといいねぇ。食べ放題会場からは以上です。

トシアキと影浦の誘拐事件シーン

このシーンで桜子の座ってるピーコックチェアの床に、なんか図像が投影されてるんですよね。後で出てくる影浦が磔にされるシーンでの足元にも同じ図像が投影されているよ。

しつこいようだけど私は西洋の宗教画におけるアトリビュートに全然詳しくないから、学生時代に西洋美術史ちゃんとがんばっておけばよかった〜無力でごめん〜って歯ぎしりしてるんだけど、私の拙い知識で辿り着いたのはヨハネの福音書なんだよね。

なんでそう思ったかっていうと、ヨハネの福音書10章には良い羊飼いのイエスっていう概念が出てくるじゃないですか、それを図像化したものなんじゃないかな〜っていうのが私の見立てなんですよね。仔羊を抱いて羊飼いの杖を持った男が中央に描かれていて、男の足元にも仔羊がいる。男の左右には十字架のモチーフが。シンボルを読み解く限り、それは間違ってないんじゃないかなとは思う。

ただ、なんで羊飼いのイエスよ? っていう解釈については、わかるようなわかんないようなって感じで。引き続き有識者の情報求む。

もし一幕のアイーダのシーンでの図像がサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の「キリストの降臨」由来だとしたら、桜子がキリストであり宗教の中心にいるっていうアレなのかなぁという月並みな解釈しかできない。知識が浅すぎてとぅらい。浅い知識のご都合主義っぽすぎて恥ずかしいので、有識者がなんかいい感じの情報をくれることをひたすら待ちますね…。

あとさ、あとさ、もし一幕最後のシーンがサンタ・マリア・ノヴェッラ教会だとしたら、マリアとサン・ジョバンニの物語が関わってくるわけで、そうすると桜子と昇龍がキリストの母マリアとキリストに洗礼を施したサン・ジョバンニになぞらえられちゃう的なアレがアレしてなになの??? ちなみにサンタ・マリア・ノヴェッラ教会にはキリスト教派と異教の対抗を表した絵画なんかもあるらしいので、桜子と昇龍ふたつの宗教が交わる感じとかも想起しちゃうよね…。

あとなんかどのシーンだか忘れたからここについでに書いちゃうけど、桜子がカルメン口ずさんでるシーンあるじゃないですか、あそこもいいよね。だってカルメンって周りの男を翻弄してグッダグダになって最終的に殺されちゃう話でしょ。それをいかにも軽やかに楽しんじゃいそうな桜子の空気感が出てて、めちゃくちゃ好き。

はぁ、オタクって事実かどうかもわからん解釈と妄想に忙しいわね。いい加減にしたほうがいいわよ。おのれの浅薄さに反省はするわよ。さーせんした。

雪乃童と昇龍が五月場所の意気込みを歌うシーン

あのシーンの雪ちゃんめちゃくちゃ好きで、かっこいいしきゃわわだしファンサ欲しいしで大忙しだよね。雪ちゃんが歌ってるときには、雪みたいな白いフレーク状の照明が床に落ちるんだよね〜。あれめっちゃ好き〜〜〜〜。歌い手が昇龍に変わると色が青くなって、なんとなくウロコみたいに見えるのが青龍っぽくてよき。よきよき。

桜子が「男は女のために」を歌うシーン

ピンクに近い紫のライトに照らされて力士たちが登場、ピンクに近い紫と青寄りの紫がふわっふわっと入れ替わる。もう最高すぎない? ヘイヘイだよヘイヘイ。ヘイヘイオールザメン。そのあと手前が紫のまま、奥が桜子の洋服と同じグリーンに照らされて、そのあとフラッグパフォーマンスがはじまるんだよね〜〜〜フラッグパフォーマンスの話をさ! しようよね!!!

フラッグパフォーマンスのシーン

これは冒頭で「どうしても一点だけ残念なシーンがあって、もしもあれが映像に残らない可能性があるというのなら、それは損失だ!」と言ったシーンにつながっていくやつです。

「男は女のために」の歌を彩るメンズのパフォーマンスが楽しいのはもちろんなんだけど、紫のフラッグの中に青・黒・白・赤がひとつずつ混ざってて、パフォーマンスの最後に下手手前青、上手手前黒、上手奥白、下手奥赤の位置取りになっていくんですよ。つまり紫色の水引幕と四神に護られた聖域である土俵を抽象的に形作ってゆくわけですよ。フラッグ配置の頭上に吊り物のセットが降りてきて、フラッグで表現された概念が本物の吊屋根に入れ替わっていくんですよ… 震えちゃわないですか? そのときの光景、全景で観たくないですか?

吊屋根? 水引幕? ってなった人はこれ見たりググったりしてみるといいと思います。

ライビュでは吊屋根セットの動きが捉えられてなくて、別のところにズームされてたから、櫻子ちゃん演じる淳子が奥から登場するのと吊屋根が降りてくるのとをひとつの流れとして観れなかったんですよね。あそこ本当に神々しくて、明らかに場の空気が変わってラストの取り組みに続いてゆく鳥肌モノのシーンなので、それが伝わらないのがめちゃくちゃにもったいなさすぎて!!! もったいなさすぎて!!! うわあああん!!!!!

フラッグパフォーマンスが聖域に変わっていくまでの過程が、演出が、めちゃくちゃ好きで気が狂いそうなので、ここはどうしても場の転換の全景を観てほしいんだよね…きっとなんらかのコンテンツになるときは別バージョンの映像を使って、あのシーンの神々しさを保存してくれるって信じたい。これから生で観られる人はできれば生で目撃してほしいし、もしDVDなどのメディアに場の転換全景が入ってなかったとしても、絶対に後世に語り継ぎたいので書き残した次第です。

四隅の四神の房の色、ちょっと見づらいかもしれないけど、フラッグの同じ色の位置とちゃんと同じところに下がってるからすぐわかるよ。ちなみに青龍カラーの青い旗は入江甚儀さん演じる大きいほうの徹兄さん、玄武カラーの黒い旗は木村了くん演じる清史兄さん、白虎カラーの白い旗は南誉士広さん演じる代官山横綱、朱雀カラーの赤い旗は松田拓磨さん演じる鷲毛勝関が持ってた。目で追うときの参考にしてみてくださいな。

エンディング

エンディングは感極まってるんで大したこと覚えてないんだけど、とにかくみんなが素敵すぎてさ… 美沙子さんも歌ってくれるっていうのが最高で…(最初の頃オクターブ上で歌おうとしてしんどそうだったけど、今は下げて歌ってるね)。

あとはフォーメーションだよね。群舞としての美しさみたいなものと、個々がわちゃわちゃやってる賑やかさみたいなものがバランスよくごった煮になって、そこで揉まれて最高潮に達した熱量がカテコで登場する原嘉孝一箇所に集められていく。エネルギーの流れがそのまま目に見えるような、とんでもない儀式のような… しゅごい… しゅごいよね…。

ハイパフォーマンスな宗教行事と言っても過言ではないエンディングのせいで、トーキョーシティの運気の流れが変わっちゃってんじゃないかと思うよね。トーキョーシティの風水ぶち抜く勢いのエネルギーを浴びて、私いっつも泣いちゃう… 感動とかそういうのとはなんかちょっと違って、もっと肉体的な反応な気がする。未開の部族が太鼓を打ち鳴らしながらトランス状態に入るのと同じ反応なのかもしれないですね。

溢れる光の中でネイキッドな人間たちが大きな声で歌っている。それに手拍子で応える。そのエネルギーに触れてるだけで涙が出ちゃう。めっちゃプリミティブ。ライオンキングより獣感ある。神々しい獣たちによる大型神事2020ジャパン。絶対来年いい年になるわ。

まだまだ言い足りないけど、このへんで

なんぼでもわーわー言えることあるんだけど、このブログはこれでそろそろ終わりにしようと思います。また観る機会があったらいいなぁ。これで終わりはさみしいなぁ。もっと観たいなぁ。はぁ、とぅらい。アクチュアリィとぅらい。

サブスクリプションサービスなどで配信されてる閣下の「Naked Men 見ろ、裸の俺たちを!」を聴きながら掃除機をかけると、吸引力が5倍になるよね。閣下の Naked Men 聴きながら通販で届いた日用品の段ボールを開けると、在庫が5倍になるよね。そのくらいの勢いで毎日が潤っています。

激動の2020年の終わり際に、大きな喜びをくれてありがとう。両国花錦闘士と出会えて、本当に幸せ。どうか最後までカンパニーのみなさんが無事に駆け抜けられますように。たとえ現地に行けなくても、心は声援を送っているよ。

『両国花錦闘士』明治座初日に浴びた祝祭、それはめくるめくトンチキのルネッサンス

【前回までのあらすじ】

ギンギンに瞳孔が開いている間に、その場に一緒にいたオタク全員がチケットを追加で買ってた。感染症対策に気を付けながらも、席取りくんを叩いてた。なんだろう、悪い夢でも見てたのかな。裸の男たちがめちゃくちゃ歌って踊りまくる記憶が残っている。

なぜか全身に筋肉痛が来ている。腹筋と腕が痛い。あとめちゃくちゃちゃんこ鍋を作りたくなっていっぱい作って食べた。シャンパン飲みたい。カレーも食べたい。

いったい何が起こったんだっけ。寝て起きてまたちゃんこ鍋を食べて、やひしぎは思い出した。

私は12月5日の夜、明治座に行ったんだ。そして両国花錦闘士を浴びたんだ。

祝祭を全身に浴びてからやひしぎが正気を取り戻すまで、1日半かかりました。もしこれが校長先生のお話の前だったら、朝礼に参加していた生徒が全員倒れてました。校長先生じゃなくてよかった。犠牲になった生徒はいなかったんだ。やひしぎは強く思いました。

いや、そんな話はどうでもよくてさ、両国花錦闘士の話をするんですよ。してるんですよ両国花錦闘士の話を私は。もし少しでもご興味のある方であれば、観た者が例外なく狂いまくっているのを観測済と存じます。そうなんです。両国花錦闘士、めちゃくちゃに人を狂わせる祝祭だったんです。

大賢者ですからね、書けますよ、ブログ。狂いまくっているオタクたちの代わりに、理性的なレポートをお届けします。前半はネタバレしない程度のレポート&感想を書いていきますね。そして終盤はちょっとネタバレも含む(ちょっとだよ)内容を書くので、ネタバレを含む箇所の前に断りを入れますね。

何でそんな注釈を入れるのかというと、これから観に行く予定のおともだちは、できればネタバレしないでネイキッドなビューティフルメンたちを浴びてほしいからなんですよぅ… 約束された交通事故みたいな衝撃を無防備に受け止めてほしいから… 一生に一度の肌色セレモニーを大事にしてほしいからぁっ…。

とはいえ、ネタバレしたとしても、たぶん信じてもらえないと思うんで、多少のことは気にしなくて全然だいじょうぶだとおもいます。すでにみたわたしたちだってなにがおこってるかわかんないんだから、ぜんぜんだいじょうぶだよ。あんしんして。

ここで興味を失った人も、とりあえず公式情報だけでも見てって?

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得体の知れない高揚、それは祝祭

両国花錦闘士、明治座、初日。開演前の客席のヒリヒリするような緊張感は異常だった。開演前にあんなにヒリヒリした空気味わったの、『スリル・ミー』のとき以来でした。きっと私だけじゃなく客席全体が同じ感覚を共有していたと思う。舞台裏もきっとなんともいえない空気だったんだろうなと想像する。

そのヒリヒリからの落差はすごかった。なんかすげぇの来た。

実はあんまり1幕のことは覚えていない。オープニングだけで元取ったことは知ってる。知ってるけど覚えてない。だいたいにして何が起こっているのか理解できていなかった気がする。肌色の宗教画。光り輝く祝祭。きっとフランダースの犬のネロが死ぬ前に観た光景はこれだと思う。危うく私もパトラッシュと昇天するとこだった。

とにかくオープニングからずっと爆笑をしていて、幕間の休憩時間をリアルな休憩として享受したのはこれが生まれてはじめてってくらい、筋肉を酷使した。カロリーを消費した。苦しい苦しいっつって幕間を迎えた。幕間って大事ですね。ありがとう幕間。ありがとう休憩。幕間に感謝した記念日。どうでもいいけど宗教画だっつってんのに爆笑してるっていう状況がすでにおかしくない?

とにかく主演の原くんが光り輝いていた。誰にも邪魔できないオーラに包まれていた。代役だなんて言葉は雲の向こうにすっ飛んで、誰よりも主役の顔でそこに立っていた。キラキラキラキラキラキラキラキラしていた。明治座じゅうを駆け回って、原くんのファンたちにおめでとうと伝えて回りたい気持ちでした。おめでとう、おめでとう、原くんのファンたち。みんなたちをノーディスタンスで抱きしめたいよ。

そして原くんだけでなく、板の上に立っているキャストさん全員が演劇の神様に祝福されていた。おめでとう、おめでとう、キャストのみなさん。これはフリムンシスターズのときにも同じことを感じていたんですけど、私はキャストそれぞれが役として名前を持ち個性を前に出す見せ場がある芝居が、本当に本当に本当に好きだ。モブだアンサンブルだなんて言ってないで、みんなを前に出してくれる芝居が、とっても大好き。

もうとにかく今何が起こっているのかわからないまま持っていかれる感覚、悪い冗談みたいな得体の知れない高揚感なんですよね。全員が全力であそこに立ってなかったら成り立たないシーンが多過ぎて、本当にすごい座組だと思う。おめでとう、おめでとう、みんなが祝福されている。おめでとう、おめでとう、明治座に存在したすべての人たち、おめでとう。おめでとう、穢れを祓いすべてを寿ぐ、両国花錦闘士という祝祭。

獣道一直線で松戸かなえも言ってたじゃないですか、不安を煽ってからのタチマチテングは効果てきめんって。我々はATMを、いや明治座インターネット予約「席取りくん」を、がおーがおー言いながら殴りに行くしかないんですよ。

席取りくんを殴りたくなった人はこちらで殴りましょうね。

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トンチキのルネッサンスを目撃せよ…

両国花錦闘士はヴィレッジと東宝と明治座の化学反応で生まれたトンチキの結晶です。プロデューサーさんたちの決意表明をちょっとだけ引用させてもらうと、

誠意と愛を持って思う存分振り切り、多くのお客様に「また観たい」と感激していただけるような作品を目指す(公演パンフレットより引用)

って言ってくれてるんです。ありがとう、ありがとうそしておめでとう、あなた達の生み出した舞台は幕開け数分で100%大勝利を確信するレベルの「また観たい」であり、感激を通り越していい意味でトラウマです。オタク特有のよくない例えではありますけどね、完全に新しい味のシャブです。

だってほらさぁ〜〜〜、特にヴィレッジちゃんのオタクたちはさぁ〜〜〜、ヴィレッジちゃんが繰り出すトンチキをよく知ってるじゃないですかぁ〜〜〜。実家のシャブには抗えないじゃないですかぁ〜〜〜。かつて同じシャブを食った仲間が同じシャブを食えば同じように狂う。これははるか遠い昔から人間の道理ってやつです。おめでとうヴィレッジちゃんのオタク、おめでとう。

そして作・演出の青木豪さんは言いました。

皆様が少しばかりの時間でも、現実を忘れてお楽しみいただけましたら、我々も身に余る光栄です。どうぞ最後までごゆっくりご覧くださいませ。(公演パンフレットより引用)

現実、忘れました。椅子に座ってハイ! ハイ! ハイ! ハイ! って手を叩いている間に、いつのまにか数ヶ月が経っていました(作品内時間)。でもゆっくりはご覧できなかったかな、死ぬかと思ったわ。言語化のオタクが言語化困難レベルなほど脳みそを焼き切られているのが何よりの証拠です。危険が危なくてゆっくりはできなかったかな、うん。

私、青木豪さんが書いた本での舞台ね、ヴィレッヂプロデュース2020”Series Another Style”の『カチカチ山』が初観劇だったんです。カチカチ山はとってもシンプルなお話だったし、太宰治のお伽草紙そのものだったけど、アレンジがめちゃくちゃにおもしろくて最高だった。青木豪、信用できる、って思った。

そんな青木さんがヴィレッヂちゃんのトンマナを正当継承しながら軽々と塗り替えてゆくのを、我々は目撃しちゃいましたよね。トンチキのルネッサンス。新しい世界の創造主、青木豪。どこまでも信頼してついてゆくしかないなって観念したよね。おめでとうルネッサンス。おめでとう青木豪。祝福の鐘は鳴り響くよ。

ちなみに公演パンフレット以外のグッズはイーオシバイドットコムでも買えるんですって! やったね!

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物語は誰も知らないフィナーレへ

原嘉孝、それは我々が観た光だった。はじまりと終わりがあんなふうに結ばれてゆく物語の構成に本気で引き込まれたし、トンチキがいつの間にか熱い男の物語になっていた。

物語の筋、あるようでいてないようでいてやっぱりハチャメチャに詰め込まれていて、物語の流れそのものが原嘉孝の物語であるように思えて仕方なかった。あれこれドキュメンタリーだっけ? こんなストーリーでど真ん中に立ってる原嘉孝、演劇の神様に愛されすぎている。神に愛されているのが肉眼でわかる。

Twitterの画像

カテコで奥からゆっくりと登場する原嘉孝が視界に入ったとき、マジで実物より大きく見えたの。実物大なのにおかしいね。キャストさんに身長180cmの南さんっていう人がいるんですけど、なんなら180cmの南さんより大きく見えたからね。人間としてのスケールが膨らんでましたからね。

この物語のフィナーレは、きっともっと先にある。原嘉孝という大きな光が向かう先に、本当の結末が待っている。その結末を見届けたいと思わせてくれる原嘉孝、芝居強くて歌い強くて踊り強くて大きく見える原嘉孝。これはもう才能という言葉を超えたディスティニー確変期なんじゃないですかね。知らんけど。

なんかさ〜〜〜初日だけなのか52公演ずっとなのかわかんないけど、少なくとも初日は明治座に「観客」っていう大きな生きものがいたんですよ…。明治座でこんなに長時間手拍子することってある? ってくらいずっと手拍子をして、手がもげそうなほど力いっぱい拍手を送って、空気全部が大きな祝福のかたまりみたいになって。拍手を送る以外に賞賛を送る方法を持たない観客という生きものは、くれくれアピールでもなんでもなく、純粋に自らの感動で拍手を贈り続けていた。

特にカテコアンコール後の会場の空気は、その空気だけでみんな成仏できてしまうくらい祝福に満ち溢れていて、今までにない種類の涙がわけもわからず流れ出てきて、ああ今間違いなく幸福だ… って思った。座席から弾かれるように立ち上がったスタオベ、感染症対策のことを心の片隅に起きながらも、スタオベの衝動を止めることは誰にもできない。拍手をする。立ち上がる。精一杯の気持ちを贈る。劇場の営みそのものが宗教画になるくらい、美しかった。

最後のカテコが終わって役者さんたちが掃けたあと、舞台裏で大きな拍手が起こっているのを聞いて、また胸がいっぱいになった。どれだけの思いでこの日を迎えたのかと思うと、カンパニーが愛しくて愛しくてたまらなかった。それで終わりかと思いきや、時間差退場を待つ間に劇伴(流れてる音楽)が終わった瞬間にも、また会場から大きな拍手が起こったんだよ。あの大きな「観客」という生きものの一部になれたことがうれしい。

終演後にTwitterで「座布団投げたい」ってつぶやきを見かけて、天才だ〜〜〜と思った。座布団を投げられたらどんなに最高か…! 力士たちにざんざかざんざか景気よく塩を撒かれながら、座布団を投げたい… 私は両国国技館で座布団を投げたことは1回しかないんだけど、あれはめちゃくちゃ気持ちよかったし、明治座でも心の中でだけ全力で投げようと思うよ…!

このブログの冒頭で「なぜか全身に筋肉痛が来ている」と書きましたが、その理由はもうわかってもらえると思います。失神するんじゃないかってくらい死ぬほど笑いまくって引き攣れた腹筋がやばい。インターバル少なめでやってくる手拍子とカテコで万雷の拍手を贈るべく使いまくった腕がやばい。初日を経て、両国花錦闘士をマチソワする体力は自分にはないなと思いました。観劇の間に 3 days off つまり三連休くらい必要。

ところでライブビューイングもあるっていうじゃないですか。今のタイミングでは劇場にはなかなか行けないという人も、映画館なら少しは行きやすいんじゃないでしょうか。ライブビューイングもあるっていうので〜。あるっていうので〜。

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万馬券を当てにいった感覚でドーパミンは2倍

ここまであーだこーだいろいろ書いてきたんですけど、実は大前提として、この舞台に私のメインの本推しは出てないんですよ。強いて言うなら、いつぞや狂いまくった『メタルマクベス Disc2』のときのキャストさんたちが多めに出てるので、興味はそこそこあったんです。でも、チケットは取ってなかったんですよ。12月他のことで忙しいしな〜って。

何がってのは割愛しますけど、あの日でしたチケットを速攻で取ったのは。なんだろう、速攻で取ったよね。賭けたの。ギャンブルですよギャンブル。代役オッズで万馬券出たらいいな〜みたいな。この時点で、原嘉孝くんの代役に1票! みたいな気持ちでいたんですよね、なぜか。特に意味はなくて、そうだったらおもしろいな〜みたいな。ほんの出来心だったんです。

多くのエンタメが不遇だった2020年、万馬券を賭けるスリルを味わいたかった。エンタメシャブに飢えていたから、無駄に賭けてみたかった。本当に軽い出来心だった。その後、出来心で賭けたチケットはめでたく万馬券となり、さらに木村了くんの参戦がわかった時点で了くん枠でさらにチケットを取りました。やったね。

この時点でドーパミンが出てるわけですよね〜〜〜。ギャンブルに勝っちゃった状況でドーパミンだくだく出てるわけなんで〜〜〜。ナチュラルドーピングがキマッちゃってるんで、脳みそ焼き切れないわけがなかったんですよね。シャブのダブルトッピングだったんだから、もうこれしょうがない。

あとこれは観ている最中に判明したことなんですけど、了くん枠でもらった座席、原くんファンに申し訳ないくらい原くんポジションの席だった。さすがに席番を晒すことはできないけど、私と舞台の間を遮るものは何もなく、目の前に原くんが立ちまくった。ありがとう、ありがとうホリプロ。了くんには去年の劇団朱雀のときからお世話になりっぱなしです。

そんな万馬券をゲットしておきながら、観た記録を残しておかないのはダメだと思った。ちゃんと見た記録を残しておかないと、バチが当たると思った。だからこのブログを書いています。これは目撃者として定められたディスティニー。ブログも書くし席取りくんも殴る。

席取りくんだけじゃなく、他のプレイガイドでもまだまだ絶賛発売中のようなので、好きなところを殴ればいいと思います!

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カンパニーへの愛しさと切なさと心強さと

何度でも書いちゃうけど、両国花錦闘士、カンパニーが信頼できすぎて愛しか感じない。今回出演してるキャストさんには自分的にはじめましての方もいっぱいいるんだけど、すっかりみんなが大好きになってしまった。

特に気になった役者さんへの感想を残しておきたいと思います。

原嘉孝くん、大鶴佐助くん、大原櫻子ちゃん、木村了くん、徳永ゆうきくん、大山真志さん、市川しんぺーさん、紺野美沙子さん、りょうさん、南誉士広さん、遊佐亮介さんについてちょっとずつ書きました。

※ここから先は多少のネタバレも含む内容になりますので、自己責任で読むか読まないかの判断をお願いします! ワンクッションとして、堂々とそそり立つ原嘉孝のぼり画像を置いておくね!

原のぼり

原嘉孝くん

ここまでも語ってきたけど、とにかく原くんのきらめきがすごかった。私は原くんのオタクではないのだけれど、ここまでの道のりとか逆境がたくさんあったこととか、なんとなく知っている。その原くんが自分の腕でもぎ取って自分の足で踏み固めてきた数々の成果が、女神の運命を勝ち取るだけの積み上げになったんだなぁって感慨深い。

何度でも言うけど、原くん担当のファンたちオタクたちをひとりひとり抱きしめて回りたい。おめでとうおめでとう。そして何より原くんやったね、最高にかっこいいよ。役者としての原嘉孝、本格的に好きになりました。推すというわけではないんだけど、なんだろうね、サクセスストーリーを眺めていたい人だなとは思います。明けない夜は so long だけど、明けない夜はない。

原くん演じる昇龍、原くんのストーリーすぎて、原くんへの当て書きじゃないの!?!? ってビックリしたよね、逆にね。1ミリの隙もなく役柄を演じていて、昇龍という役がそこで生きていた。アイドルとしての原嘉孝の面目躍如って感じのダンスのキレ、歌の伸び。まだまだ大きくなるね、原くんね。楽しみだね。

大きくなるといえば、Disc2のときより脚に倍くらい筋肉が付いててビックリしました。膝小僧だけは相変わらずだったね。原担でもないくせに、原くんの膝小僧はこれからも見分けられると思います。公演パンフレットの見開きは完全にポルノだったので、パンフレットは迷わず絶対に買うのをおすすめします。

大鶴佐助くん

雪ちゃん! かわいいよ雪ちゃん! 雪乃童っていう独特のキャラクターが愛しすぎて、佐助くんがきゃわわすぎて、うわ〜〜〜〜んかわいいよ〜〜〜〜〜ってなりました。人の良さとか不器用さとか葛藤とか、すべてを超えてのあのラスト… えーん雪ちゃん… 雪ちゃん…

パンフレットではあんなにきれいに四股を踏めているのに、それが肉襦袢なしで観られなかったのはちょっと残念な気もしました。美しすぎるからぜひともパンフで見てほしい。でもさ、あの肉襦袢であの立ち合いができるの普通にすごくない…?

特に昇龍とのラストシーン、観客がもっとも息を飲んだ取り直し前の動き、原くんとちょっとでも息が合わなければ全てが台無しになるようなシーンじゃないですか、あそこでばっちり踏ん張れるの、すごい。原くんもすごいけど、佐助くんもすごいよ…。

大原櫻子ちゃん

櫻子ちゃんをはじめて観たのは、そう、Disc2。Disc2で櫻子ちゃんにメロメロになってしまった私は、また櫻子ちゃんの歌うお芝居が観たいな〜と思っていたのでした。この舞台で演じた橋谷という役もめっちゃキュートで、完全に自分のものにしてたな…。

櫻子ちゃんの「はぁ!?💢💢💢」っていうセリフがめちゃくちゃ好きなんですよ私。なんなら四六時中「はぁ!?💢💢💢」って言われたい。今回も「はぁ!?💢💢💢」が何度も出てきて最高だった。ひとりで自問自答する芝居も好きだなぁ。自問シャウト自答は最高だよね。シャウトしてないけど。ぶつぶつひとりで空回るのがかわいすぎる…

歌でいちばんきゅんきゅんしたのは Spring Storm! だよ〜〜〜!!! 春場所の歌、みんな聴いてくれ〜〜〜!!! 「春は荒れる」のとこのお手々の振りを考えた振付師さん天才。♪はーるーはーあれっるっ♡ はるはーあれーるー♡ 1回しか聞いてないのにメロディーラインも覚えられてしまうくらいだよ…

しかし歌詞を含めるとセリフ量もかなりあったよね。相撲にうるさい歌とか、めちゃくちゃギュウギュウじゃんね。あれを序盤でマシンガンのように歌うしゃくらこ、素敵… 私わりと歌覚えのいいほうだと思うんだけど、あの歌はメロディーラインは覚えられても歌詞が絶対に追いつかないwww

木村了くん

了くん… 最高だったよ了くん… ちぃにいちゃんの清史が了くんへの当て書きじゃないなんてアクチュアリィ信じられないよ… 「なぜ代役なんだ?」ってくらいハマりすぎてて、元をどうするつもりだったのか逆に知りたくなったよね…これが当て書きじゃないことが逆に不思議すぎて辛い、もとい、とぅらぁ〜い。

思えば了くんがセリフを発するたびに、明治座初日組の流行語が書き変わっていきましたね。2020年の流行語は「とぅら〜い」で決定だと思います。辛いと書いてとぅらいと読む。これだけは覚えて帰ってください。2021年の三連休は4回ほどありますけど、三連休のたびに了くんを思い出して 3 days off を噛み締めましょうね。

ビジュアル的には清史にいちゃんの造形が絶妙に私の性癖で、あの動きと仕草で了くんがウロウロするたびに頭がおかしくなりそうでしたね。なんか今回の了くん、ところどころライチ⭐︎光クラブの頃の面影を感じたんだよね。なんにも耽美じゃなかったのに不思議だね。フラッグさばきが妙に上手いのもそれっぽさだった。

藤田役のときの了くんで好きなシーンはクラブで橋谷ちゃんに勘違い言い寄りをするところなんだけど、寒気がするほど気っっっっ持ち悪い動きを繰り出してきて、びっくりしちゃったな… 了くんの醸し出す気持ち悪さが癖になりそう… なぜあんなに気持ち悪いの… 一応、褒めてます…。

昇龍の悪夢のシーンも、やらされ放題だな! 了くんをなんだと思っているんだ! なんでもやってくれて最高だな! って思ったけど、あれをこの期間で仕上げてきたのもすごいし、朱雀に出てくれたとき以上にぐんぐん好きになっちゃったな… 奥菜ちゃん今日もおいしいごはんを作ってあげてください。

徳永ゆうきくん

徳永くん演じる須藤王のリサイタル、最高だった〜〜〜!! 金のローブを着て歌いまくる徳ちゃん、ビカビカに輝いてた… 脳が焼き切れてるせいであんまりちゃんと映像として頭に残ってないので、次回は絶対にすべて記憶して帰ってきたい。

あと行事役やってるときに持ってる軍配団扇に「区間急行」って書いてあって、やっぱり徳ちゃんはそれな〜〜〜〜!!! ってなりました。(別の人が行事やるときの軍配は普通に「天下泰平」って書いてあったよ)

大山真志さん

今年はいっこもオペラ座行けてないよ〜〜〜と思ったけど、明治座で本格オペラが観られるとは思ってなかったですね。結構な尺で観せられてたよ? いやズルすぎるでしょあのオペラはwww もっとくださいwwwww

あとオープニングでデーモン閣下が飛び出してくるシーンがあるんですけど、どうも閣下本人にしてはガタイがよすぎると思ったら、中の人が大山さんだったみたいです。あのとき瞬間的にあらゆる種類の認知不協和が起こって激しく混乱してたんだけど、認知的不協和が正当なもので安心しましたwww

市川しんぺーさん

しんぺーさんがいる安心感よ… 親方として昇龍とわちゃわちゃやるシーンは、思わずステアラのキッズルームを思い出してしまったよね。

あと初日のカテコでは櫻子ちゃんの手を取ろうとして避けられるっていう、お約束のきゃわわが行われていて、は〜〜〜きゃわわだ〜〜〜!!! ってなりました。どうやら2日目ではちゃんと手を取ってくれたらしいじゃないですか! さらにきゃわわじゃん〜〜〜!!!

紺野美沙子さん

いや、とんでもない舞台に出てくださって、ホントに、いいんですかね? ってこっちが思うくらいでした。ちょっとズレた女将さんの空気感が最高で!! しかも最後歌ってくれるし!! この女将さんがいるから雪ちゃんがいて、宝塚トリオがいるんだなって思える女将さんでした。そもそもお相撲好きなんですよね、美沙子さん!

笑っちゃったのが、パンフで「この舞台を企画製作した人全員にお歳暮を贈りたいくらい」って言ってて、完全にオタクたちと同じこと言ってるじゃん!www ってなりました。我々も贈りたいですよお歳暮。感謝しかねぇ。

りょうさん

ちょっと… この作品のりょうさんは… ずるすぎませんか… マイベストりょうさんを更新しましたね… っていうがキャラも作画もおかしいよwww パンフのりょうさんの見開きで「嘘でしょ」って声出たよね。

りょうさんが出てるシーン全部が全部好きすぎて、どれって言えないよね。でもやっぱり肌色の男たちを従えすぎていて、わけがわからなかったよねwww とにかくエキセントリックで意味がわからなすぎて、りょうさん演じる桜子の衣装が青かったことと尖っていたことしかわからない。ボンテージも似合いすぎてた。あとラタンのピーコックチェアが自前かな? ってレベルで馴染んでいた。

南誉士広さん

南さんは今回も忙しくがんばってますからBRATS方面のファンのみなさん安心してください(何目線の報告なのか)。

黒服役の南さんとか性癖が過ぎて刺さり散らかしたし、私まだなんにも言ってないのにオタク仲間から「南さんの役が全部やひしぎの性癖ピンポイントすぎてウケる」って言われる始末だし、とにかく大忙しで何キャラもやってましたね。頼りになるなぁ。

そしてDisc2処刑人大正義だった女としてはですね、顔だけ被り物した南さんの肌色が帰ってきたこと自体が大勝利ですよね。そして棺を担ぐがごとくあれもこれも担ぐ。担げるものはなんでも担がされる。担ぐ班・南さんの美しいアブクラックスを見てくれ… きっと公演後半にはもっと絞れてくるでしょうねあの身体…。

あと力士役だったときに頭上に「朱雀」って出たのに反応した人は私だけじゃないはずだよ?

遊佐亮介さん

いやちょっと聞いてくださいよ、私は動揺しましたよね、序盤で宝塚トリオがナイトライフを歌うシーンで、遊佐亮介さん演じる星乃里にバチコーン! とやられてしまったんだよね。ビックリしたよね。あれでしょ、アイドルの中から自分だけに輝いて見える1人を見つける感覚ってこれでしょ!?

いやホント、ナイトライフを歌い踊る星ちゃんのキラキラがめちゃくちゃすてきで、お星様がたくさん飛んでたんですよね〜〜〜。まさかNSC出身の芸人さんだったとは。いや冷静になるとやっぱそれおかしいよね、宝塚トリオにはジャニーズJr.もいるんですよ??? それを超えるお星様を感じてしまうとは何事?????

次回はこのときめきが本物かどうかを確かめようと思います。星ちゃんかわいいよ星ちゃん〜〜〜!!! 遊佐亮介さん演じる星乃里は宝塚トリオの水色の浴衣の人なので、みんなもチェックしてみてね。

無事に走り切れますように…

愛されカンパニー、どうかご無事にご安全に無理はしないで最後まで走り切ってほしい。今はどんな公演にもこれを願うしかないけど、ただでさえ初日幕が上がったことがすごすぎるカンパニーなので、増し増しで願ってしまうよね…。

でも信じる。ヴィレッジちゃんのオタクの合言葉、信じる力。我々は明治座を信じる。我々は青木豪を信じる。我々は幕が上がることを信じる。

私にできることは日々の生活で気を引き締め直すことくらいなので、次の観劇までできる限り気を付けながら過ごします。

追記:

ネタバレありのお気に入り照明&演出メモもまとめたので、よかったら観劇後にそちらもどうぞ。

yahishigi.hatenablog.jp

9PROJECTの『熱海殺人事件 – 1973初演版』がよかった話

ちょっと前、9PROJECTの『熱海殺人事件 – 1973初演版』を観ました。
すごくよかった。よかったので、めっちゃちゃんと感想書いておきたかったの。

終演後の舞台上に散る菊の花

9PROJECTの公演を観るのは初めてで、きっかけは劇団朱雀で存在を知った小川智之さんの芝居をホームグラウンドで観てみたかったから。そこに岩崎祐也くん、熊倉功さん、藤原儀輝くんが出ているとあれば、それはもう絶対に観てみたかったからですね。

その前の公演『二代目はクリスチャン』も観る気まんまんでチケットを取っていたのだけど、それが中止になってしまったので、今回の公演が正真正銘9PROJECT初体験になりました。

感想を書きたいとは思いつつ、いつまでもうまくまとまらなくて困った。結局まとまってないけど、まとまらないなりにまとめました。前置きとかもあるので、要らないとこは飛ばして興味あるとこつまむなりなんなりしてもらえれば。

つかこうへいと熱海へのスタンス

感想の前に私のつかこうへいと熱海へのスタンスを前置きとして書いておきたい。どうでもいい話なので、飛ばしてください。あとつか作品が好きな人も飛ばしてもらったほうがいいです。

つかこうへい作品には苦手意識がめちゃくちゃあるんだけど、それもこれも若い頃につかこうへいの作品を文学として読んで、あまりおもしろくないなという印象を抱いてしまっていた(好きな人には申し訳ないけど、好き嫌いはどうにもならないので、ごめんだけどそこはスルーしてもらえるとうれしい)のが理由。きっとどれもおもしろくないでしょという先入観がずっとあったのだ。

その後も映像作品などで目に触れることはあったし、完全に知らない作品というわけではないのだが、長いことずっと、熱海殺人事件は自分の中でお芝居として観に行きたい作品ではなかった。つまり、最初に出会ったときの第一印象のせいで「ここまで出会わずに」来たのだ。

先入観いくない。でも人生短いから強く興味を引かれないものには、やっぱり手が出ないんだよね。個人的な物事の優先度があって、「文学として楽しめるか」というのが自分にとってすごく大事。お芝居が好きになるずっと前から読書の虫だったので、どうしても好き嫌いの基準として「読んでおもしろいこと」が前面に出てきてしまう。それも個人の物差しなので、それがダメだって話ではないのだけど。

でも、今回の9PRO熱海で改めて感じたのは、戯曲っていうのはお芝居になってみるまではなんにもわかんないんだなぁ! ということ。いやホント、わかんないんだなぁ! わかんなくてすごい! 戯曲が戯曲として作品の炎をまっとうに燃やせるのは、舞台の上だからなんだなぁって。文学性の外側に魅力があるという認識になったので、だいぶ見方が変わった。

今回はじめてお芝居として熱海殺人事件と出会うきっかけになったのが9PROJECTだったけど、熱海殺人事件を観に行くというよりは役者さんたちを観に行きたくて選んだ感じだ。9PROJECTの舞台を観ること自体もはじめてで、はじめてづくしだったとも言える。その結果、熱海殺人事件という作品の魅力を知り、お芝居のおもしろさを改めて味わうことができた。これってかなり幸せなことで、それ自体に興奮してたりするんだよね。

遠ざけてたり食わず嫌いしてるものって他にもたくさんあるんだけど、もしかしたらまた今回みたいに別のきっかけで興味の目が開くことがあるんだろうなと想像すると、世界ってめちゃくちゃ太っ腹じゃん! ってうれしくなる。今好きなもの意外に好きになれそうなものが無限に存在するなら、死ぬまで飽きないね。絶望する暇とかないね。明日も生きようって思える。世界ってすばらしい。

前置きはここまでで、つまりこの感想は9PROJECT初心者かつ熱海殺人事件初心者の感想だってことなんです。小説版読んだことあるし、あらすじくらいは知ってたけど、興味を持って掘り下げをしたことが一度もなかったオタクのファースト熱海舞台感想なんだっていう前提で読んでもらえると助かります。なんもわからんの!

熱海殺人事件、おもしろいっていうより怖いわ

熱海、わからなさしかないんだけど、自分として辿り着いた解釈は、お話の筋の論理性を理解するみたいなことははじめから意味がないってこと。主体と客体が絶え間なく入れ替わるカオスの中をカオスなまま浴びることそのものが体験としておもしろいのかなぁって。筋の通った論理みたいなものはおそらくはじめから埋め込まれてなくて、たくさん混ぜ込まれた文脈からうっかり生まれてしまうメッセージの粒たちをシャワーみたいに浴びて、なんらかの何か(いったいそれが何かはわからんよ)を各々の感受性によって掴みなさいよ… って言われてるような感覚なんだよね。

そこでおもしろいのは、メッセージの粒ひとつひとつを生み出しているのが戯曲ではなく演じる役者さん(と演出家さんかな)から出てくるものだってところなんじゃないかな。演じる役者さんたちの解釈とかと関係性が文脈を生み続けている。もしかして戯曲の中にある骨格みたいなものってめっちゃくちゃシンプルで、最低限のもの以外なんにも含んでいないんじゃないのかな? って感じる。(実際戯曲だけ読んでも全然おもしろくないと思う私がいるわけだし)私にはその骨格すら掴めてないんだけどさ…。

とにかく、演じられてはじめておもしろさが乗るんだろうなっていう理解は得た。文学性うんぬんは横に置いといて、身体性と関係性に特化した戯曲という理解。いや、なんか全然ピントがおかしい理解かもしれないけど、今の初心者としての私の理解は完全にそう。そもそも理解が必要なのかってことさえわかんなくなってきた。要らないんだろうな理解とかも。

そう考えると、数多の役者さんがこのお芝居に夢中になる理由がわかるし、役者の芯が丸見えになる芝居なんだろうなってことがわかる。だから様々な作品に影響を与えたりオマージュされたりするんだろうな〜〜〜〜と想像した。そして私にとっては、この芝居に夢中で向き合う役者さんから伝わってくる解釈への揺れとか板の上で生まれ変わり続ける関係性とか、困惑や熱量の粒みたいなものを直接浴びられるのが魅力なんだな〜という。

AキャストBキャスト両方を生で観劇したうえで、配信でも観てみたんだけど、わーこれ現地で観てからじゃなかったら全然受け取れてなかったなぁってわかって、それに対しても怖くなっちゃったな〜。なんかこう、配信全般を観るのが怖くなっちゃったというか? わかってたことではあるけど、受け取りの差分がデカい公演、ホントデカくない? 配信で観ても現地で観ても感動があんまり変わんなくて差分のない公演もあるのにな〜。不思議。

いやマジで怖いね、この芝居。おもしろさより怖さのほうを強く感じちゃいますね。怖いからこそみんな夢中になるんだろうなっていう。なんだろうね、怖いってすごい魅力なんだね。怖いってすごいね。怖いっていう感覚が、もう私はちゃめちゃに好き!!!

怖さ込みで、好きな役者さんが熱海を演じてるの観るのは絶対に楽しいだろうな。あと熱海を演じているところを観て好きになった役者さんは、きっと他のどの芝居を観ても自分にとって好きな役者さんになるはず。そんで、熱海で観てつまんねぇと思ってしまった役者さんはずっと好きになれなそう。もともと好きな役者さんの熱海を観てつまんねぇって感じちゃったら、他とは比べものにならないほどはちゃめちゃにガッカリしそう…こわ! こっわ! 逆に「熱海という作品が観たいな〜」という気持ちになることはこれからもなさそうだなという感じでおもしろい。

そんなこんなで、熱海は私にとっては役者のシャワーなんだなっていう解釈です。役者を浴びてあったか〜いだのつめた〜いだの湯量たりねぇぞおいみたいなことを感じとけばいいんですよ我らは。シャワーがあれば暮らし安心やぞ。暮らし安心とはいえ、私はシャワーにはちょっとうるさいんですよ。シャワー大好き人間なので。中途半端な湯量では満足できない身体なので。溺れそうな湯量で熱い熱い言わせて?

いやホント、シャワーの粒が直接当たる当たらんでは全然違うよねぇ… シャワーキャップしたままでは頭は洗えないもん。フェイスシールドつけたままではカレーうどん食えないもん。画面越しのサウナを眺めても汗はかけないもん。シャワータイプの演劇ばっかりやってる人が配信を嫌うのもよくわかる。

AキャストBキャストまとめての感想

AキャストもBキャストも、伝兵衛、わからない。ぜんぜんわからない。最初にAキャストを観てて、ははーん舞台で観る伝兵衛ってこういう感じかって掴めた気がしたんだけど、Bキャストを観たらどっちもぜんぜんわからんww ってなってw

根っからの大悪党と警察の捕物帳的な構図でいろいろなことを片付けられた時代は過ぎ、社会の小市民が社会のひずみの中でいつのまにか容疑者そして犯罪者という立場になっていく現代の病巣みたいなものを、伝兵衛は憂いているんじゃないかと思うんだけど、それはそれとして伝兵衛自身もアンバランスで。そのアンバランスさは、今の時代に観るからそう思うのかな。当時どういう位置付けだったんだろうな。

智之さんの伝兵衛はめっちゃキザだしビシッと背広着てるし、実存主義とかにかぶれてそ〜〜〜!! みたいなところは確かにあるんだけど、ステージに立ってるのはわりと自分って感じなんだよな。実存主義にかぶれてるだけで、本質的に市井の者に光を当てる気なんて別になさそうな。対象を利用して自分がステージに立ってる勘違いした社会学者みたいなアンバランスな雰囲気があるんだよな。あとこれは完全にお芝居とは関係ないんだけど、智之さんのスーツ姿が普通にかっこよくて惚れるわってなった。智之さん、レトロダンディーなスタイル、似合いすぎない?????

Bキャストの友部さん伝兵衛は、社会のひずみを告発しそうな伝兵衛だなぁって思う反面、実存主義とか言わなそうな感じもどこかにあって。なんでこの人実存主義とか言い出すんだろ、絶対言わなそうじゃない? みたいな謎のアンバランスさがある。つまりAもBもなんとなくアンバランスって感じて、伝兵衛っていうキャラクターがもともとアンバランスなのかもしれないなって思った次第。伝兵衛単品のわかりやすさでいえば、友部さん伝兵衛のほうがわかりやすかったなって思うんだけど、実存主義って言うかなこの人? ってところだけがまったくわからないw

実存主義って言いそうな伝兵衛、実存主義って言わなそうな伝兵衛。引き出しに入ってるのはマルボロライトメンソールだけどポケットから熊田に勧めるのはハイライトで、そこだけは信じられる伝兵衛。でもやっぱりわかんない。私は伝兵衛のこと、なんにもわからない。伝兵衛まじでむずかしい。

Aキャストは、実存主義言いたいだけの洒落キザ伝兵衛に、垢抜けない田舎者のダサダサ熊田が感化されてく感じがたまんねぇな!って思って観てたんだよな〜。その中で仲道くんの金太郎がリアルな工員感出してくるからマジ金太郎ってなる。工員感がリアルすぎて逆に色気を感じたよね。ちなみになんでAキャストの熊田がダサダサだという解釈になったかというと、初日の祐也くんがスーツの一番下までボタンをしめてたからで、てっきりそういう野暮ったさを押し出す演技プランなのかと思ってたからなんだよね。次見たときには一番下のボタン開けてたから「おいww」ってなりましたよねw そんな祐也くんが好きだよ。でも最初の印象のダサダサが抜けなくなってしまったので、ダサダサ解釈で通すことにした。

Bキャストは熊田のほうがビシッとスーツ着こなして優男なんだよね。伝兵衛の暑苦しい人情味みたいなものと、徹頭徹尾血管切れそうな熊田の掛け合いがめちゃくちゃよかった。熊倉さん血管切れそうっていうかそこそこ切れてたでしょ絶対ww ただ、とにかく暑苦しすぎて、実存主義とか言われると突然なんなんだよってなるw その暑っ苦しい刑事の間で小突き回されてるだけだった儀輝くんの金太郎が、途中から青年らしい煌めきを見せるのがグッと来すぎた…。最後の方の虚脱感漂わせた佇まいなんか、震えが来ちゃったよね…。

AB金太郎の違いでいちばん印象的だったのは、車と金の話をするくだりの解釈が全然違って見えたところだったなぁ。どっちが正解みたいなのは本当にないんだろうなっていうのだけはわかるけど、どちらの金太郎も切実で。あと、初日の仲道くん金太郎と千穐楽の仲道くん金太郎はまったく別の金太郎に見えたのも興味深かった。初日のぞっとするような独白、声色、表情、はちゃめちゃに好きだったなぁ。

仲道くんの金太郎はさぁ、すでにもういろんなことが自分でもわかってて、どこかで諦めてる顔に見えるんだよね。一方で儀輝くんの金太郎は、まだ何もわかってなかったある種の事実を、そのとき突然すべてわかってしまったって顔をするんだよな。仲道くんがパンフで儀輝くんの姿勢や在り方について触れてたけど、今の仲道くんにとって難しくて今の儀輝くんが持ってるもの、そういうところに芝居として反映されてるんだろうな。

いやいやいやいやあのね、儀輝くんが本当によかったんだよね。想像の10倍よかった。芝居の技術で言ったらまだまだじゃんって思うところもあって、もっとがんばれよぉ!って言いたくなる場面もあったんだけど、実に素直で擦れてない金太郎を初々しくやってくれて、なんだこのやべぇシャワーは! ってなった。なんだろうな〜〜、役の解釈とかそういうレベルの話じゃない気がするんだよね。特に千穐楽は、儀輝くんという器にちゃんと役が乗ってた感がすごかった。初日はセンターでピンで芝居するシーン少し弱く感じたけど、千穐楽の迫力はすごかった。はぁ〜よしきよ。よしきよ!!

いやね、Bキャストを観たあとにAキャストを改めて振り返るとね、仲道くんの金太郎めちゃくちゃ上手かったなって思うし、私は仲道くんのお芝居がめちゃくちゃ好きだなっていうのもわかったんだよ。芝居のスキルが段違いで。今回のキャストでいちばんうまいのは仲道くんなんじゃないかなって感じる。マジでよかった。

じゃあ仲道くんがBキャストにいたらもっとよくなったのかって言ったら、それは全然違うだろうと思うわけよ。そもそも今の形にならなかっただろうし、バランスが変わってしまうから。ある意味、Bキャストを観てはじめて熱海という演目にどう向き合ったらいいかが理解できた気さえする。

とにかくBキャストのシャワー、湯量がすごかった。笑いすぎて呼吸困難になるかと思ったし、勘弁してくれっていうくらい笑ったあとで、結局めちゃくちゃ号泣した。熊倉さんの熊田は予想通りの狂いっぷりで想定の範囲内だったんだけど、その狂いっぷりのままエネルギーがキャスト間を循環することすること!うっかり2020年ベストアクト候補にしちゃいそうなくらい笑った!! これはあれです、メタマクDisc2にどハマりするタイプの人間の理屈です。

全力で儀輝くんを床に叩きつける熊倉さん、真正面から熊倉さんの飛び蹴りを受ける儀輝くん。なんなの? これはなんなの? 熊倉さんの運動量が頭おかしいし、熊倉さんの熊田は一課じゃなくて四課に行ったほうがいいよ!! 熊倉さんのスーツ姿でのピルエットもやばすぎて、全力にも程があるだろ!! いいかげんにしろ!!! みたいな気持ちになりました。控えめに言って最高でした。Bキャストの組み合わせがこの狂った全力疾走を生み出したんだと思うと、神様やりやがったな!!って思うしかないわ。

それにしてもこれだけAB解釈違う中でひとり両方やってる高野さんはすごいな。テンションおかしくならないのかなw あのテンションの中でAとB両方でキラキラしてる高野さんのお芝居、もっと観てみたいな〜って思った。個人的にはAキャスト観たあとは「つかこうへい、やはりわからん」ってなったけど、Bキャスト観たあとはつかこうへいのつの字も浮かばなかったよねw 何を見せられたんだという混乱がめちゃくちゃ心地よかったよねw いや心地よかったんですよ実際、あのカオスと狂乱が。めっちゃいいお湯の熱々シャワー!!!

Aキャストを観ているときはずっと、打楽器の演奏を見てるみたいだなって思ってた。ラップバトルっぽかったのかもしれない。グルーヴ感とかパンチラインとか、セリフを全部リズム譜に落としたいような気分になった。繰り出されるバイブスにぶち上がりましたね。なんならセリフになんにも意味が乗ってなくても、あのリズムとテンポなら気持ちよーく聴けたかもしれない。目をつむっててもいけたかも。

Bキャストはね、プロレスですよ。極上のプロレスを観ている気持ちだった。言語というより身体表現って感じで、こちらは逆に音がなくても肉体の機微を観ているだけでもいけたかも。いやもちろん五感全部で受け止めた後だからそう言えるんだけど。バイタルサインの緩急みたいなところが全部伝わってきて、演者の心電図とか血圧とか表示しておいてほしいくらいだわって思いました。

お芝居の細かい好きなとことか挙げだしたらキリがないんだよな〜〜〜。だらだら書いたらいつまででもいろいろ書けちゃいそう。まとまらないものをまとめるためには、このあたりで終わっておかないとな。

今このタイミングでこのお芝居に出会えて本当によかったな。なんで人間はお芝居とかするんだろう。なんでそれで救われたりするんだろう。もはやなんにもわかんないけど、わかんなくていいや。

『フリムンシスターズ』シアターコクーン、初日… の感想を書く前に自分の感情を整理する話

フリムンシスターズ初日、行ってきました。
いつもみたいにスタートダッシュで書きたい、感想を。

でも今の私、お芝居の感想の前に、松尾スズキ氏や阿部サダヲ氏をはじめとする関係者へのお気持ちを整理する必要がある。いつもみたいにピュアにお芝居に感情移入してぐしゃぐしゃになるのとは違う、体験したことのないぐしゃぐしゃに襲われていたから。

このぐしゃぐしゃな気持ちについて、きっと演じる側はこんなふうに思われたくないだろうな、という後ろめたさを抱いている。ただただ笑って観てほしいだろう、無邪気に楽しんでほしいだろう、こんなぐしゃぐしゃなんて抱いてほしくないし語ってほしくないだろう。つまり、演者の願いを曇らせる気持ちを、私は抱いているのだろう。しんどい。

でも私が1ファンとして感じている今の気持ちは私だけのものだから、私だけの観劇記録として書き留めておくくらいは、どうか許してほしい。お芝居の中身でなく、そのまわりで起こったあれこれに対する気持ちを整理しないと前に進めない。今のこの状況の中で、痛いほど味わった心の揺れを。

これは私個人のぐしゃぐしゃを整理するためだけのエントリ。なんだそれ、と思った人はすぐ引き返してください。あなたの求めているものとは違うものなので。

まともな感想は別のエントリで書くね。むしろそっちを早く書きたいから、だから今これを急いで書いてる。うまくまとめられないかもしれないけど、それでも書く。ぐしゃぐしゃの中身についてもいろいろありすぎるんだけど、ここでは阿部サダヲ氏と松尾スズキ氏に対する感情だけに絞って書くことにします。

舞台俳優・阿部サダヲという存在がぐらつくのを初めて観てしまった日

阿部サダヲを観てこんなにぐしゃぐしゃしたのははじめてだ。

全体を通して見れば、前日ゲネが初通しという状況で、あれだけのお芝居をやり通せる阿部サダヲはすごいとしか言いようがない。二幕以降の演技の伸びも凄まじかったし、元気だったという感想ひとことで済むのかもしれない。

けど、私は今まで阿部サダヲという俳優がぐらついたのを観たことがない。体力おばけかな? ってくらい謎に安定していて、いつだって怖いくらいの仕上がりを見せてくれると思っていた。

一幕の秋山さんとサダヲちゃんのシーン、一見普通だけど秋山さんが汲み取ってる感じだなとか、カバーしたりしてるなって想像しちゃう部分があって、決して完全な呼吸ではない感じがしていた。そこはもう、さすが秋山さん、さすが紀伊國屋演劇賞受賞女優、ってなるんだけど。

サダヲちゃんの発声一音目とか、歌の歌い出しとか、今まで聴いたことないくらい弱々しくて、聴いた瞬間「あれっ…」ってなった。何よりその後にサダヲちゃん本人の動揺が伝わってくるような空気を出していて、そのことで私の胸がヒュンッとなった。

何本目かの歌のパートからいつもの感じが戻ってきて、二幕に入ったらエンジンが滑らかに回りはじめた感じもして、それを観てたら胸がいっぱいになった。

一幕どんな気持ちで板の上に立っていたのかと思うと、私なんて中の人たちになんの関係もない人間なのに、想像だけで怖くなってしまって震えが来ちゃった。幕開けるの、楽しみだったろうけどきっと今までになく怖かったんだろうなっていうのを、二幕に伸びていったお芝居を通して感じてしまったんだよ。

だからね、二幕途中でいつもの感じを取り戻して、センターでビカビカにオーラ出しながら歌ってたサダヲちゃんを観てたら、なんだか涙が止まらなかった。なんでこの人、私たちを笑わせるためにこんなにややこしいものを背負ってるんだろうって。

そうだよ、そんなふうに見られたくないと思うんだよ、役者さんは。余計なことを見ずに感じずに、クッソおもしろいゲラゲラゲラゲラ!ってなってスッキリして帰ってほしいんじゃん。わかってる。だから後ろめたい。

こんな後ろめたい愛しさを板の上に立つ人に注ぐことなんて、なかなかないよ。愛しさとしんどさでぐしゃぐしゃになってる。なんなんだよって思う。だから私はここでぐしゃぐしゃを全部整理して、次からは最高にハッピーな気分で無責任にゲラゲラ笑いに行く。

今夜あんなふうにまっすぐ板の上に立ってくれた阿部サダヲちゃんの姿を、私はずっと心の奥にしまっておくよ。

松尾スズキの新作のすばらしさを通して見てしまった別のしんどさ

松尾スズキさんの戯曲がどえらい好きだ。演出家としても役者としても脚本家としても好きだけど、私は松尾スズキの持つ文学性を愛している。

比較の話になっちゃうけど、クドカンの戯曲について語るときは「うまい」で形容することが多いんだ。クドカンのホンはクドカン独特の技巧の先に、本人自身から突き抜けた謎の何かが生まれてる感じがして、別に本人はこれを伝えたかったわけじゃないんだろうけど、こっちはそれを受け取ってるわ、ってなってるような気がして、そこがおもしろい。

対して松尾さんのは「伝わる」って言いたくなることが多くて。真正面を避けてぬるぬる書くなぁって思ってるんですよ、個人的には、松尾さんは。でもぬるぬる逃げているようでいて、ぬるぬるの中に伝えたいことを全部書いてる感じがする。そこにあるものを勝手に読み取ったり受け取ったりするのではなく、「松尾さんの伝えたいこと、たぶん私に伝わってると思う」って松尾さんに呼びかけたくなるような、そんな書かれ方だなっていつも感じてる。

今回の新作「フリムンシスターズ」は、松尾さんのホンが好きな人たちが観たら、松尾さんにしてはストレートだなって思うところ、あると思う。意外とぬるぬるしてない。真正面から正攻法で来てる感じがする。ああ、芸術監督就任以来、松尾さんが出したかった答えってこれなんだなって勝手に思ってしまう。お話の筋も、ミュージカルとしての幅も、全部が全部今の松尾さんの答えなんだなって。

でもきっと、先日の騒動(そのことについてここで詳しく書く必要はないだろうから割愛する)のフィルターを通したら、その答えはぐっと矮小化されて捉えられるだろうと思う。そのことが苦しくて。考えるだに悔しくて。二幕の終わりにラストの歌を聴きながら、こんな答えを用意して私たちを待っててくれた人が、この数週間どんな日々を過ごしてきたろうかと想像せずにはいられなくなって、しんどくてしんどくてぐしゃぐしゃのぐしゃぐしゃになってしまった。目の前の答えがすばらしければすばらしいだけ、底なしに深まるしんどさもあるのだなと知った。

私はこの答えをじっと待ってきた側の人間なので、すごく伝わってしまうしわかってしまう。わかる準備ができている相手に何かを伝えるのって、敷居が低いだろう。でも、世の中に出てしまえば、そうじゃないことのほうが多い。すべての表現者はそれを乗り越えないとこの先の時代を乗り越えていけないのだろう。だから答えに「わかり」を感じる側の1ファンとして、そこはシビアに見ていく必要があるし、その部分に対する態度を間違えてはいけないと強く思う。「わかりかた」を間違えたとき、ファンは推しをスポイルする。

とにかくフリムンシスターズはすばらしいお芝居だった。だけどお芝居の中ではなくお芝居の外側にいろんなことがありすぎて、私の中に要らないぐしゃぐしゃがたくさん溜まってしまった。だからこそ、このお芝居が幸せな形でたくさんの人に伝わりますようにって、願わずにいられない。

お芝居に対する良し悪しとか好き嫌いについては、それはほら、個々人の感性で処理すればいい話だから。みんながみんな好きになる必要もないし、疑問に思う人がいるのも自然なことで当たり前のことだ。ひとりひとり違った感性と違った価値観を持っているのだから。自分の感性を信じるためにも、このお芝居をまっすぐに受け取ってまっすぐに感じられたらいいなぁと強く強く願う。

ぐしゃぐしゃを「ちょっとだけ残して」また観に行きます

こんなぐしゃぐしゃ、演じる側にとってありがたくない感情だって知ってる。
だけど「ちょっとだけ残して」また観に行く。そうしないときっと忘れてしまうから。

次も開くかな。幕が開くかな。
信じるしかないね。また明日。