シャナナの梵字が答え合わせだったっていう話
昨日、朱雀岐阜で観たシャナナは極楽浄土だったっていう話を衝動的に書いてしまったんですけど、その続きの話をしていいですか? \イイヨ!/
こんなところまで読みに来てくれる人はだいたいわかってる人だとは思うんですけど、念のため言っておくと、ここで書く話はちょっと密教好きなオタクがライトな解釈を妄想レベルで語る話なんで、そういう前提をちゃんと持ってほしい。あと前回のブログを読んでくれてること前提で書くからいろいろすっ飛ばします。
ここには正解など何もない。あるのは私の勝手な解釈だけです。
Final公演のときの梵字をチェックした
昨日のブログを書いた後、軽い気持ちでFinal公演のWOWOW録画を観ていたんですよ。つまり5年前のシャナナを確認することになっちゃったんですけど、今度こそ本当に失神するかなって思いました。死因に梵字って書かないといけなくなるところだった。
復活公演と違ってたんですよ、太一くんの梵字が。ひと目でわかってしまった。
でもちょっと落ち着こうと思って、いったん確認できるだけ全員分の梵字を確認して、そんで、ああこれはやっぱりそういう意図なんだって気付いて、もうダメだった。
Final公演での太一くんの梵字は、バン
前回のブログでこんなこと書いてたんですけど。
まぁつまり密教的に言うと大日如来なんですけど… わかります…? 密教オタクが失神しそうなのわかります…? 釈迦が悟った真理そのものって意味なんで(意味わかんないと思うけど)、シャナナの間、劇場が宇宙の中心でありこの世のすべてなんだなって… オタクは… 思うんです… ぱたり。
大日如来の梵字って、なんだかわかりますか? バンなんです。Final公演で太一くんが着てたの、大日如来を意味するバンなんです。嘘でしょ?
大日如来について説明するのはもうしんどいので、大日如来のウィキペディアを読んでください。
もうなんていうかね、そもそもシャナナっていう響きが(もともとの歌にはそういう意味はないだろうけどオタクが勝手に連想してるだけです)遮那=毘盧遮那仏を連想させる語感じゃないですか。大光明で全宇宙を照らす仏ですよ遮那。光明遍照ですよ? 遮那王牛若の遮那ですよ?
ウッ…!!!!(いつもの発作)
摩訶毘盧遮那っていうのは大日如来の別名みたいなもんでもあってね、だからそういうことなんですよ。私が失神しそうになった理由が1ミリでも伝われば幸いです。ほら、オタク、沼と沼がつながる瞬間ってみんなやばいじゃないですか? この話、私にとっては超弩級にやばいんですよ。
あの、やばいついでにもうひとついいですか? ゆっくんが着てるのはFinalでも復活公演でも不動明王の梵字なんですけど、不動明王って大日如来の化身とか脇侍って言われている存在なんですよ。そんで私おとといこんなこと言ってるんですよね…。
私たぶんフォロワーが想像する以上に密教ガチ勢なんですけど、私の守り本尊って大日如来と不動明王なんですよ。勢いそのおふたりを身近に感じて生きてきたんですけど。(ちなみに三大推し本尊を選ぶならここに弥勒菩薩が加わります)
— 奥様は朱雀にまだ通い終わってない (@yahishigimamito) January 2, 2020
無理じゃないですか? こんなこと言ってる人に兄弟でその構成っていうのは無理オブ無理じゃないですか? お願いだから私の命を大事にしてほしい。
歳々年々〜光明までの答え合わせ
ちょっと話を変えて、東京公演を観てたときに思ったことの話をします。
東京公演、開幕ど頭に「これがうちの一番商品でござんす」とばかりに花魁道中持ってきたじゃないですか。一番商品が全部背負ってやってまいりましたみたいな顔見世オープニングじゃないですか。たぶん大阪でもそうなんだろうと思うけど。
いや、よく見れば、わかる人がよく見れば、とんでもない強力なフォーメーションなんですよあれ。文脈がすげぇ。ひとりひとりに割り当てられた役割と意味だけで泣いてしまうレベルの人員配置なんだけど、とはいえあれをはじめて観る新規の客には一番商品しか目に入らないわけでしょ? そんなの演出家さんにはわかりきってるわけでしょ? ねぇ演出家さん???
でも、歳々年々から光明までの流れで、太一くんが全部背負うような朱雀は終わったんだなっていう気持ちにさせてくれるのがすごくて。私はそのことで胸がいっぱいになってしまうから、公演後に毎度放心してしまってたんだけど。
なんていうのかな、人間ひとりが背負うべき業の相が変わったっていう感じがするんだよね。歳々年々の双翼から、最後あんなにきれいに全員でひとつの大きな朱雀になるような群舞を持ってくる。それがどういうことなのか、自分の頭の中ではきれいにつながって、なかなか言葉にならなかった。
確かに今の座長は太一くんだし、彼にしか背負えないものたくさんあるだろうけど、5年刻みの時を隔てながら成長してきたゆっくんが隣にいて、あゆちゃんが控えていて、後ろにはそれぞれの朱雀を身体いっぱい広げて背負ったみんながいる。光明群舞のフォーメーションを観るたびに泣き崩れてしまう。
— 奥様は朱雀にまだ通い終わってない (@yahishigimamito) December 15, 2019
私は観客が太一早乙女に神性を見出すこと自体が彼の背負う業だと思ってるので、太一くんが神扱いされるたびにちょっと警戒してしまうめんどくさいオタクなんだけれど、東京公演まんなかくらいで、こんなふうに思ったんです。
神の子から降りた。そんなふうに思わせてくれた復活公演でさ、背負う梵字が変わってるって衝撃じゃないですか? Finalで背負ってた汎神論そのものの大日如来じゃなくて、虚空蔵菩薩に変わってたんだっていうのが、なんかすごく心に刺さってしまって。そのことに気付けて本当によかったって。
大日如来って、とにかく宇宙そのもの、万物そのものみたいなところがあるので、それを背負って踊るっていうことは、その人こそが朱雀そのものっていう解釈ができるじゃないですか。でも、そうじゃなくなったんですよ。あくまで構成からの解釈ですけど。朱雀っていう宇宙の中で、それぞれがそれぞれの柱として立っているんだって思えるっていうかね。なんか説明がつたくてごめんね… 私が言いたいことの意味、伝わるといいな〜〜〜。
はぁ… ちゃんとした感想もまだ書いてないのに、梵字だけでどんだけ書くんだよっていう話なんですけど、この話をしないと大阪に行けないと思った。今の朱雀をちゃんと目に焼き付けるために。(これは大阪初日に向かう新幹線の中で書いています)
ひとまず、最後にこの言葉をもって大阪公演への期待の挨拶に代えたいと思います。
私の推し本尊背負ってつまんねぇアクトしたら本当に許さないもん😌
— 奥様は朱雀にまだ通い終わってない (@yahishigimamito) January 2, 2020
浄土からは以上です。さぁ、現場に行くぞ。
追記:ちゃんとオチがつきました
大阪初日後にだらだらおでん食べながら、岐阜の大五郎さんゲスト回で誰が何を着ていたか改めて確認したんですけど、なんとよしきくんが大日如来のバンを着てたっぽくて、爆笑しちゃいましたね。ちょっとパッと見ただけなんで、改めて確認したいとは思うんですけど。
いや、よしきくんが着ちゃいけないってことじゃないんですよ!ww もしかしたらすごい意味があってよしきくんが着てるのかもしれないし! でも、なんていうか、雑www っていう感じがもうおもしろくてww だって大五郎さんに着せることだってできたでしょそれ!!www ちなみにパッと確認しただけなんで確かじゃないですが、大五郎さんは韋駄天ぽいの着てました。(もし違ってたら後で修正します)
なんていうのかな〜、オタクが勝手に膨らませたそれらしい妄想をさ〜、ちゃんとどこかで裏切ってくれるっていうか〜、そんなの思い過ごしだよっていう隙をきちんと残してくれるっていうか〜、結局は期待するような意味なんてないよ! って笑い飛ばしてくれる感じがさ〜、はちゃめちゃに好きなんだよね〜!!
だから安心して自分の解釈を好き勝手こねくり回すことができる。全部自分の妄想だったり願望だからさ〜って、笑い飛ばせる。
この話のオチは以上です。御清聴ありがとうございました!