夜にひしぐは神おろし

お芝居とか映画とか好きなものの話を諸々。自分のためのささやかな記録。

9PROJECTの『熱海殺人事件 – 1973初演版』がよかった話

ちょっと前、9PROJECTの『熱海殺人事件 – 1973初演版』を観ました。
すごくよかった。よかったので、めっちゃちゃんと感想書いておきたかったの。

終演後の舞台上に散る菊の花

9PROJECTの公演を観るのは初めてで、きっかけは劇団朱雀で存在を知った小川智之さんの芝居をホームグラウンドで観てみたかったから。そこに岩崎祐也くん、熊倉功さん、藤原儀輝くんが出ているとあれば、それはもう絶対に観てみたかったからですね。

その前の公演『二代目はクリスチャン』も観る気まんまんでチケットを取っていたのだけど、それが中止になってしまったので、今回の公演が正真正銘9PROJECT初体験になりました。

感想を書きたいとは思いつつ、いつまでもうまくまとまらなくて困った。結局まとまってないけど、まとまらないなりにまとめました。前置きとかもあるので、要らないとこは飛ばして興味あるとこつまむなりなんなりしてもらえれば。

つかこうへいと熱海へのスタンス

感想の前に私のつかこうへいと熱海へのスタンスを前置きとして書いておきたい。どうでもいい話なので、飛ばしてください。あとつか作品が好きな人も飛ばしてもらったほうがいいです。

つかこうへい作品には苦手意識がめちゃくちゃあるんだけど、それもこれも若い頃につかこうへいの作品を文学として読んで、あまりおもしろくないなという印象を抱いてしまっていた(好きな人には申し訳ないけど、好き嫌いはどうにもならないので、ごめんだけどそこはスルーしてもらえるとうれしい)のが理由。きっとどれもおもしろくないでしょという先入観がずっとあったのだ。

その後も映像作品などで目に触れることはあったし、完全に知らない作品というわけではないのだが、長いことずっと、熱海殺人事件は自分の中でお芝居として観に行きたい作品ではなかった。つまり、最初に出会ったときの第一印象のせいで「ここまで出会わずに」来たのだ。

先入観いくない。でも人生短いから強く興味を引かれないものには、やっぱり手が出ないんだよね。個人的な物事の優先度があって、「文学として楽しめるか」というのが自分にとってすごく大事。お芝居が好きになるずっと前から読書の虫だったので、どうしても好き嫌いの基準として「読んでおもしろいこと」が前面に出てきてしまう。それも個人の物差しなので、それがダメだって話ではないのだけど。

でも、今回の9PRO熱海で改めて感じたのは、戯曲っていうのはお芝居になってみるまではなんにもわかんないんだなぁ! ということ。いやホント、わかんないんだなぁ! わかんなくてすごい! 戯曲が戯曲として作品の炎をまっとうに燃やせるのは、舞台の上だからなんだなぁって。文学性の外側に魅力があるという認識になったので、だいぶ見方が変わった。

今回はじめてお芝居として熱海殺人事件と出会うきっかけになったのが9PROJECTだったけど、熱海殺人事件を観に行くというよりは役者さんたちを観に行きたくて選んだ感じだ。9PROJECTの舞台を観ること自体もはじめてで、はじめてづくしだったとも言える。その結果、熱海殺人事件という作品の魅力を知り、お芝居のおもしろさを改めて味わうことができた。これってかなり幸せなことで、それ自体に興奮してたりするんだよね。

遠ざけてたり食わず嫌いしてるものって他にもたくさんあるんだけど、もしかしたらまた今回みたいに別のきっかけで興味の目が開くことがあるんだろうなと想像すると、世界ってめちゃくちゃ太っ腹じゃん! ってうれしくなる。今好きなもの意外に好きになれそうなものが無限に存在するなら、死ぬまで飽きないね。絶望する暇とかないね。明日も生きようって思える。世界ってすばらしい。

前置きはここまでで、つまりこの感想は9PROJECT初心者かつ熱海殺人事件初心者の感想だってことなんです。小説版読んだことあるし、あらすじくらいは知ってたけど、興味を持って掘り下げをしたことが一度もなかったオタクのファースト熱海舞台感想なんだっていう前提で読んでもらえると助かります。なんもわからんの!

熱海殺人事件、おもしろいっていうより怖いわ

熱海、わからなさしかないんだけど、自分として辿り着いた解釈は、お話の筋の論理性を理解するみたいなことははじめから意味がないってこと。主体と客体が絶え間なく入れ替わるカオスの中をカオスなまま浴びることそのものが体験としておもしろいのかなぁって。筋の通った論理みたいなものはおそらくはじめから埋め込まれてなくて、たくさん混ぜ込まれた文脈からうっかり生まれてしまうメッセージの粒たちをシャワーみたいに浴びて、なんらかの何か(いったいそれが何かはわからんよ)を各々の感受性によって掴みなさいよ… って言われてるような感覚なんだよね。

そこでおもしろいのは、メッセージの粒ひとつひとつを生み出しているのが戯曲ではなく演じる役者さん(と演出家さんかな)から出てくるものだってところなんじゃないかな。演じる役者さんたちの解釈とかと関係性が文脈を生み続けている。もしかして戯曲の中にある骨格みたいなものってめっちゃくちゃシンプルで、最低限のもの以外なんにも含んでいないんじゃないのかな? って感じる。(実際戯曲だけ読んでも全然おもしろくないと思う私がいるわけだし)私にはその骨格すら掴めてないんだけどさ…。

とにかく、演じられてはじめておもしろさが乗るんだろうなっていう理解は得た。文学性うんぬんは横に置いといて、身体性と関係性に特化した戯曲という理解。いや、なんか全然ピントがおかしい理解かもしれないけど、今の初心者としての私の理解は完全にそう。そもそも理解が必要なのかってことさえわかんなくなってきた。要らないんだろうな理解とかも。

そう考えると、数多の役者さんがこのお芝居に夢中になる理由がわかるし、役者の芯が丸見えになる芝居なんだろうなってことがわかる。だから様々な作品に影響を与えたりオマージュされたりするんだろうな〜〜〜〜と想像した。そして私にとっては、この芝居に夢中で向き合う役者さんから伝わってくる解釈への揺れとか板の上で生まれ変わり続ける関係性とか、困惑や熱量の粒みたいなものを直接浴びられるのが魅力なんだな〜という。

AキャストBキャスト両方を生で観劇したうえで、配信でも観てみたんだけど、わーこれ現地で観てからじゃなかったら全然受け取れてなかったなぁってわかって、それに対しても怖くなっちゃったな〜。なんかこう、配信全般を観るのが怖くなっちゃったというか? わかってたことではあるけど、受け取りの差分がデカい公演、ホントデカくない? 配信で観ても現地で観ても感動があんまり変わんなくて差分のない公演もあるのにな〜。不思議。

いやマジで怖いね、この芝居。おもしろさより怖さのほうを強く感じちゃいますね。怖いからこそみんな夢中になるんだろうなっていう。なんだろうね、怖いってすごい魅力なんだね。怖いってすごいね。怖いっていう感覚が、もう私はちゃめちゃに好き!!!

怖さ込みで、好きな役者さんが熱海を演じてるの観るのは絶対に楽しいだろうな。あと熱海を演じているところを観て好きになった役者さんは、きっと他のどの芝居を観ても自分にとって好きな役者さんになるはず。そんで、熱海で観てつまんねぇと思ってしまった役者さんはずっと好きになれなそう。もともと好きな役者さんの熱海を観てつまんねぇって感じちゃったら、他とは比べものにならないほどはちゃめちゃにガッカリしそう…こわ! こっわ! 逆に「熱海という作品が観たいな〜」という気持ちになることはこれからもなさそうだなという感じでおもしろい。

そんなこんなで、熱海は私にとっては役者のシャワーなんだなっていう解釈です。役者を浴びてあったか〜いだのつめた〜いだの湯量たりねぇぞおいみたいなことを感じとけばいいんですよ我らは。シャワーがあれば暮らし安心やぞ。暮らし安心とはいえ、私はシャワーにはちょっとうるさいんですよ。シャワー大好き人間なので。中途半端な湯量では満足できない身体なので。溺れそうな湯量で熱い熱い言わせて?

いやホント、シャワーの粒が直接当たる当たらんでは全然違うよねぇ… シャワーキャップしたままでは頭は洗えないもん。フェイスシールドつけたままではカレーうどん食えないもん。画面越しのサウナを眺めても汗はかけないもん。シャワータイプの演劇ばっかりやってる人が配信を嫌うのもよくわかる。

AキャストBキャストまとめての感想

AキャストもBキャストも、伝兵衛、わからない。ぜんぜんわからない。最初にAキャストを観てて、ははーん舞台で観る伝兵衛ってこういう感じかって掴めた気がしたんだけど、Bキャストを観たらどっちもぜんぜんわからんww ってなってw

根っからの大悪党と警察の捕物帳的な構図でいろいろなことを片付けられた時代は過ぎ、社会の小市民が社会のひずみの中でいつのまにか容疑者そして犯罪者という立場になっていく現代の病巣みたいなものを、伝兵衛は憂いているんじゃないかと思うんだけど、それはそれとして伝兵衛自身もアンバランスで。そのアンバランスさは、今の時代に観るからそう思うのかな。当時どういう位置付けだったんだろうな。

智之さんの伝兵衛はめっちゃキザだしビシッと背広着てるし、実存主義とかにかぶれてそ〜〜〜!! みたいなところは確かにあるんだけど、ステージに立ってるのはわりと自分って感じなんだよな。実存主義にかぶれてるだけで、本質的に市井の者に光を当てる気なんて別になさそうな。対象を利用して自分がステージに立ってる勘違いした社会学者みたいなアンバランスな雰囲気があるんだよな。あとこれは完全にお芝居とは関係ないんだけど、智之さんのスーツ姿が普通にかっこよくて惚れるわってなった。智之さん、レトロダンディーなスタイル、似合いすぎない?????

Bキャストの友部さん伝兵衛は、社会のひずみを告発しそうな伝兵衛だなぁって思う反面、実存主義とか言わなそうな感じもどこかにあって。なんでこの人実存主義とか言い出すんだろ、絶対言わなそうじゃない? みたいな謎のアンバランスさがある。つまりAもBもなんとなくアンバランスって感じて、伝兵衛っていうキャラクターがもともとアンバランスなのかもしれないなって思った次第。伝兵衛単品のわかりやすさでいえば、友部さん伝兵衛のほうがわかりやすかったなって思うんだけど、実存主義って言うかなこの人? ってところだけがまったくわからないw

実存主義って言いそうな伝兵衛、実存主義って言わなそうな伝兵衛。引き出しに入ってるのはマルボロライトメンソールだけどポケットから熊田に勧めるのはハイライトで、そこだけは信じられる伝兵衛。でもやっぱりわかんない。私は伝兵衛のこと、なんにもわからない。伝兵衛まじでむずかしい。

Aキャストは、実存主義言いたいだけの洒落キザ伝兵衛に、垢抜けない田舎者のダサダサ熊田が感化されてく感じがたまんねぇな!って思って観てたんだよな〜。その中で仲道くんの金太郎がリアルな工員感出してくるからマジ金太郎ってなる。工員感がリアルすぎて逆に色気を感じたよね。ちなみになんでAキャストの熊田がダサダサだという解釈になったかというと、初日の祐也くんがスーツの一番下までボタンをしめてたからで、てっきりそういう野暮ったさを押し出す演技プランなのかと思ってたからなんだよね。次見たときには一番下のボタン開けてたから「おいww」ってなりましたよねw そんな祐也くんが好きだよ。でも最初の印象のダサダサが抜けなくなってしまったので、ダサダサ解釈で通すことにした。

Bキャストは熊田のほうがビシッとスーツ着こなして優男なんだよね。伝兵衛の暑苦しい人情味みたいなものと、徹頭徹尾血管切れそうな熊田の掛け合いがめちゃくちゃよかった。熊倉さん血管切れそうっていうかそこそこ切れてたでしょ絶対ww ただ、とにかく暑苦しすぎて、実存主義とか言われると突然なんなんだよってなるw その暑っ苦しい刑事の間で小突き回されてるだけだった儀輝くんの金太郎が、途中から青年らしい煌めきを見せるのがグッと来すぎた…。最後の方の虚脱感漂わせた佇まいなんか、震えが来ちゃったよね…。

AB金太郎の違いでいちばん印象的だったのは、車と金の話をするくだりの解釈が全然違って見えたところだったなぁ。どっちが正解みたいなのは本当にないんだろうなっていうのだけはわかるけど、どちらの金太郎も切実で。あと、初日の仲道くん金太郎と千穐楽の仲道くん金太郎はまったく別の金太郎に見えたのも興味深かった。初日のぞっとするような独白、声色、表情、はちゃめちゃに好きだったなぁ。

仲道くんの金太郎はさぁ、すでにもういろんなことが自分でもわかってて、どこかで諦めてる顔に見えるんだよね。一方で儀輝くんの金太郎は、まだ何もわかってなかったある種の事実を、そのとき突然すべてわかってしまったって顔をするんだよな。仲道くんがパンフで儀輝くんの姿勢や在り方について触れてたけど、今の仲道くんにとって難しくて今の儀輝くんが持ってるもの、そういうところに芝居として反映されてるんだろうな。

いやいやいやいやあのね、儀輝くんが本当によかったんだよね。想像の10倍よかった。芝居の技術で言ったらまだまだじゃんって思うところもあって、もっとがんばれよぉ!って言いたくなる場面もあったんだけど、実に素直で擦れてない金太郎を初々しくやってくれて、なんだこのやべぇシャワーは! ってなった。なんだろうな〜〜、役の解釈とかそういうレベルの話じゃない気がするんだよね。特に千穐楽は、儀輝くんという器にちゃんと役が乗ってた感がすごかった。初日はセンターでピンで芝居するシーン少し弱く感じたけど、千穐楽の迫力はすごかった。はぁ〜よしきよ。よしきよ!!

いやね、Bキャストを観たあとにAキャストを改めて振り返るとね、仲道くんの金太郎めちゃくちゃ上手かったなって思うし、私は仲道くんのお芝居がめちゃくちゃ好きだなっていうのもわかったんだよ。芝居のスキルが段違いで。今回のキャストでいちばんうまいのは仲道くんなんじゃないかなって感じる。マジでよかった。

じゃあ仲道くんがBキャストにいたらもっとよくなったのかって言ったら、それは全然違うだろうと思うわけよ。そもそも今の形にならなかっただろうし、バランスが変わってしまうから。ある意味、Bキャストを観てはじめて熱海という演目にどう向き合ったらいいかが理解できた気さえする。

とにかくBキャストのシャワー、湯量がすごかった。笑いすぎて呼吸困難になるかと思ったし、勘弁してくれっていうくらい笑ったあとで、結局めちゃくちゃ号泣した。熊倉さんの熊田は予想通りの狂いっぷりで想定の範囲内だったんだけど、その狂いっぷりのままエネルギーがキャスト間を循環することすること!うっかり2020年ベストアクト候補にしちゃいそうなくらい笑った!! これはあれです、メタマクDisc2にどハマりするタイプの人間の理屈です。

全力で儀輝くんを床に叩きつける熊倉さん、真正面から熊倉さんの飛び蹴りを受ける儀輝くん。なんなの? これはなんなの? 熊倉さんの運動量が頭おかしいし、熊倉さんの熊田は一課じゃなくて四課に行ったほうがいいよ!! 熊倉さんのスーツ姿でのピルエットもやばすぎて、全力にも程があるだろ!! いいかげんにしろ!!! みたいな気持ちになりました。控えめに言って最高でした。Bキャストの組み合わせがこの狂った全力疾走を生み出したんだと思うと、神様やりやがったな!!って思うしかないわ。

それにしてもこれだけAB解釈違う中でひとり両方やってる高野さんはすごいな。テンションおかしくならないのかなw あのテンションの中でAとB両方でキラキラしてる高野さんのお芝居、もっと観てみたいな〜って思った。個人的にはAキャスト観たあとは「つかこうへい、やはりわからん」ってなったけど、Bキャスト観たあとはつかこうへいのつの字も浮かばなかったよねw 何を見せられたんだという混乱がめちゃくちゃ心地よかったよねw いや心地よかったんですよ実際、あのカオスと狂乱が。めっちゃいいお湯の熱々シャワー!!!

Aキャストを観ているときはずっと、打楽器の演奏を見てるみたいだなって思ってた。ラップバトルっぽかったのかもしれない。グルーヴ感とかパンチラインとか、セリフを全部リズム譜に落としたいような気分になった。繰り出されるバイブスにぶち上がりましたね。なんならセリフになんにも意味が乗ってなくても、あのリズムとテンポなら気持ちよーく聴けたかもしれない。目をつむっててもいけたかも。

Bキャストはね、プロレスですよ。極上のプロレスを観ている気持ちだった。言語というより身体表現って感じで、こちらは逆に音がなくても肉体の機微を観ているだけでもいけたかも。いやもちろん五感全部で受け止めた後だからそう言えるんだけど。バイタルサインの緩急みたいなところが全部伝わってきて、演者の心電図とか血圧とか表示しておいてほしいくらいだわって思いました。

お芝居の細かい好きなとことか挙げだしたらキリがないんだよな〜〜〜。だらだら書いたらいつまででもいろいろ書けちゃいそう。まとまらないものをまとめるためには、このあたりで終わっておかないとな。

今このタイミングでこのお芝居に出会えて本当によかったな。なんで人間はお芝居とかするんだろう。なんでそれで救われたりするんだろう。もはやなんにもわかんないけど、わかんなくていいや。