『獣道一直線!!!』PARCO劇場、初日の感想(と見せかけたおかえりエントリ)
久しぶりに浴びる全力のお芝居、はちゃめちゃにおもしろかった! それ以上に言うべきことなんてあるかな? って思うんだけど、やっぱり言いたいし、まとめておきたいことがある。
お話の内容とか役者さんの煌めきについても語りたいんだけど、それはまたゆっくり語るとして、今回はクドカンおかえり!の気持ちのエントリにします。
つまり、クドカンの脚本を褒めます。とにかくシリーズ集大成じゃない? って言いたいくらい最高だったので、ただひたすら最高だったクドカンのホンの話だけします。
獣道一直線、屈指の完成度だった
お話の進み方、プロットとプロットがクロスオーバーする見せ方があまりに技巧的で、ゲラゲラ笑いながら鳥肌が止まらなかった。マジでうまくないですか? うますぎないですか???
クドカンのオリジナル脚本の中でも、何かがクロスオーバーしていくタイプのお話が好きなんです。過去と未来、現実と妄想、誰かの人生と誰かの人生。クロスオーバーの技巧がこんなにうまい作家もなかなかいないのでは? と常々思っているのだけど、獣道一直線のプロットの技巧は、本当に褒め称えていいレベルの完成度だと思うの。
記録と物語が交錯する狭間で、主体と客体が揺さぶられる不安定さ。揺さぶられながら、自分が何を観ているのかを掴み取っていくような時間にすごく興奮する。虚構っていうのは、ああやって煙に巻かれていつのまにか当たり前に観ちゃってる世界の中にあるんだ。虚構の中にいるとき、私たちはそれを出来事として目撃している。
クドカンが独特なのは、肩の力が抜け過ぎてる具合とかどこか突き放した結末で、だから意欲作とか問題作っていう扱われ方をしないところなんじゃないかと思う。今回もコロナ禍の世相に対して恐ろしく突き抜けた態度で臨んでいるように見えて、でも「あんま何も考えてないです」って言うんだろうなって。
試験紙みたいなフレームと揺るがない緻密な馬鹿馬鹿しさ
クドカンだけでなく松尾さんも(それぞれ全然違う形で)主体と客体の話を扱っているし、大人計画にはどこか自己批判的な文脈が漂ってるって感じてる。松尾さんは宗教のフレームで書きがちだけど、クドカンは政治のフレームで書きがちだなっていうのも感じる。これは私個人の解釈なので個人の解釈以上の意味を持たせるつもりはないんだけど、とにかく私はそう思ってる。
宗教の話には踏み絵がある。政治の話には、試験紙みたいなものがある。獣道一直線にも試験紙的な性格があった。腹を抱えるほどの笑いの根底で、あなたは誰を何を見下しているの? みたいなものが見えそうで見えなくて、見えたほうが楽かもしれないけど認めてしまうのは怖くて、その薄寒さに悶えてしまう。
どのシーンに、どんな感想を抱くのか? それを通じて普段上手に隠してる社会的な後ろめたさが露わになるような感覚。対して、そんな感覚を抱かない人もいるんだろう。ざわっとするような感覚を抱くも抱かないも紙一重で、抱いたからどうだってわけではない。でも誰でも自分自身にだけは見えてしまうのだ。自分が何の色に染まっているのか。
ふと、観る人によっておかしみを感じるポイントとかうざみを感じるポイントとか、そもそも見えてる視野自体がまるっと違うんだろうなって思ったら、思わず身震いしちゃった。同じもの観て笑ってるのに、何ひとつ同じものを見てない可能性があって、それがこんなにも恐ろしいだなんて。ああほら、いつのまにか自分の視点が揺さぶられている。あんなに頭からっぽでゲラゲラ笑ってたはずなのに。
この試験紙的な部分こそが「これぞ演劇!」って感じで好きなんだけど、説教臭く押し付けてくるわけでもなく、素通りして逃げるわけでもなく、真正面から突き抜けて放り出されたその表現がクドカンらしい。突き抜けて語らず。表現がすべてを問いかけてくるのがすごいんだ。いい加減さと包容力は少し似ている。板の上に答えを放り出して語らないその姿には、信頼できる表現人の美しさがにじむ。
試験紙がどんな色に染まろうとも、でもみんなまとめてクスリと笑ったりゲラゲラ笑ったり、ちょっと引いたり驚いたりできるのが、お芝居のすごいところ。「どんとまとめて好きにやんな」って、演者が観客を信じてくれるから、観客も演者を信じることができる。色が違うくらいそんな大したことですかね? っていう揺るがない緻密な馬鹿馬鹿しさを無造作に繰り出してくるクドカンは、ホントに天才なんだろうな…。
また別途、感想書きます
言いたいことがありすぎて、胸がいっぱい。たぶんまた書きます。あと何回か観に行く予定なので、しっかり体調管理と対策して備えます。
いろいろ大変な時期だけど、劇場の対策もていねいですごくありがたかった。関係者の皆さんも遊びに行くファンの皆さんも自分自身も気を引き締めて無事に完走できますように…。
『偽義経冥界歌・令和版』赤坂ACTシアター、初日
このときをずっと待っていた!
おかえり偽義経! はじめまして令和版!
平成版の余韻いまだ醒めやらず、東京公演待ちの友人も多いからネタバレなしに語り合える人も限られ、息を潜めながらこの日を待っていたのです… 潜めきれてなかったけどね!!
ちゃんと書き残しておかないとあっという間に月日が経ってあっという間に終わってしまうことを知っているので、絶対に書き残すぞの気持ち。その気持だけでノープランで書きはじめてしまった。
あ〜〜ホント、ありがとう令和版… 偽義経が帰ってきたっていう気持ちと、まったく別物を観られてるんだなっていう気持ちと、もうとにかくありがとう
— やひしぎちゃんだよ (@yahishigimamito) February 15, 2020
おおむねこのツイートがすべてを言い表しているのだけど、現時点でのこまごました感触をメモしておかなくては。私のブログはほとんど未来の自分への私信なので、未来の自分が忘れたくなさそうなことを書くっていう方針なのね。でもいったい何をメモしておけばいいのか、まだよくわからない(笑)。
あ、ちなみに平成版のときは3つブログを書いてたので、リンク置いておきますね。
- 【ネタばれなし】『偽義経冥界歌』フェスティバルホール、初日 - 夜にひしぐは神おろし
- 【ネタバレなし】偽義経、大阪千穐楽を終えて - 夜にひしぐは神おろし
- 【ネタバレあり】何もかもを合わせ飲んで説き伏せる、偽義経の力技ビジュアル - 夜にひしぐは神おろし
知ってはいたけど、ブログをまとめておくと未来の自分がうれしいっていうのを、今強く実感しています。ありがとう平成版の私。でも金沢公演と松本公演の記録を残してないことについて文句を言いたい。なんで書かなかったんだ平成版の私。
ひとまず平成版との違いまとめはネタバレにはならないと思うので、そのあたりをざっくりまとめておこうかな。
平成版との違い、ざっくりまとめ
慣れや好みの問題はあれど、何がどうなって平成版から令和版にブラッシュアップされたのかのロジックがきちんと見えるようで、令和版の構成と演出、めちゃくちゃわかりが深い〜〜〜!! と思いました。ひとまず箇条書きで羅列します。
- 令和版パンフレットのインタビューにグッと来る
- 解釈の余地を埋めに来る演出追加や変更がたくさんあった
- 歌は思ったよりは増えてなかったけどちゃんと増えてた
- SEとかBGM追加とか、やたら音が増えていた
- 大胆にカットされているシーンが複数あった
- 特に存在感が増したのが次郎と牛若!!
- カナコさんのくくり、渋くて妖艶…(おかえりなさい…)
- 三宅さんの弁慶は渋めで海尊との見せ場も増えている
中には演出変更なのか今日だけのハプニングなのか迷うものもあったり、きっと公演中に修正もされていくんだろうなって思ったり、そういう過程もまるっと含めてこれからが楽しみ。
芝居全般の所感
全体的に平成版よりいい意味でスピーディーになって、流れるような展開を見せてくれます。まだ初日だからか、つるつると進んでいくような感じもないことはないけど、アクションや見せ場の変更も結構あるので、手数の確認なんかも含めてつるつるしちゃうのは当たり前なんだろうなっていう月並みな感想。
平成版は、特に松本での仕上がり具合がとんでもないクオリティーだったので、あの印象を引きずってしまっているところは正直あります。なので、まだ身体が慣れない部分が大きいのだけど、でも慣れるってわかっちゃってるんだなこれが…。慣れる。これはホントそう。
熱量的にはどうしても平成版終盤の回には敵わないので、それも加味して観ているけど、初日からこの感じを叩き出してくれてるのすごい… って思います。マジすごい。東京公演終盤と博多公演にめちゃくちゃ期待が募る…!!
ここから熟成されて芝居の抑揚ができていくんだろうなっていうのが目に見えるから、それが今からめちゃくちゃ楽しみ…!! 何より役者さんたちが役作りとか芝居づくりに夢中になってる感じが伝わってくるから、観ている観客のひとりとしてうれしくなってしまう。
パンフレットのインタビュー、読んで…
平成版が終わったあとのインタビューだから、平成版のときにどんなことを思っていたのかとか、どんな気持ちで令和版に向き合っているのかとか、そういうことのひとつひとつにグッと来るんですよ…。
令和版単体で読んでもいいし、平成版パンフレットと読み比べるのも楽しい。中の人コンテンツが好物な人はマストバイだと思います。
歌とか音とか
歌とか音とかは、なんかすごい増えてた。平成版はねぇ、もう少しおとなしかったですねぇ。個人的には、音が増えすぎていてちょっとごちゃごちゃしていると感じるところもあったり、気が散るところがあったりするんだけど、これは好みの問題だと思う。もともとSEがそこまで好きではないタイプなので。
劇中歌については平成版でそうとう聴き込んで、今でも空で全部歌えるくらいなので(劇中歌の歌詞メモも作っていた)、どこが変わったのかはわりと正確に言えます。事前情報で歌が増えているっていう話だったので期待値を上げすぎてしまった点は反省。でも確かに増えています!
完全に新しいものが2つ、大きく変更があったものが1つあるので、また千穐楽までにメモを育てるのが楽しみだな〜!!
特に存在感が増した次郎と牛若
もうね、若手の成長と戯曲当て書きのアップデートがリンクしてるの、LOVEすぎないですか…。もはや言いたいことはそれだけっていう…。かじゅき先生はこういうことをしますよね…。ありがとうありがとう。
どのように存在感が増したのかっていうのは、ネタバレ要素でもあるからここでは語らないのだけど、このふたりは平成版よりもパワーアップしているのです。ネタバレありの別のエントリで書きたいな〜と思います。
令和版の偽義経、たくさんの人に観てほしい…
はじまる前はそわそわしすぎて心ここにあらずといった感じだったけど、はじまったからには全力で楽しむぞぅ〜〜! 3月にはライブビューイングもあるとのことなので、気になってるけど迷っている人は、是非ライビュだけでも観てね…。
自分用の観劇メモも残すぞっ
令和版偽義経がはじまって、自分用メモを増やす楽しみもまたはじまったのよね…😌 あくまで個人のメモなのでパスワードを付けてますが、分かる人は覗いていいよ😌 URLはこのツイートのツリーにするね😌
— やひしぎちゃんだよ (@yahishigimamito) February 15, 2020
すぐメモとかデータとかを取ってしまうオタクなので、令和版も悔いなきよう自分が観た回のメモを取る場所を準備しています。るんるん。記録を残すのが大好きオタク。るんるん。記録を残さずにはいられないオタク。るんるん。
あくまで自分用の観劇メモなので、パスワード付きでひっそりとやっています。自分用のメモっていうか日記みたいなものだから、主観と自分の記憶だけがソースであり、公式情報とか正しい情報とはまったく違うものです。
その前提のうえで、もし覗きたい人がいたら全然覗いてもらってかまわないので、覗くだけならご自由にどうぞ!(言うまでもないと思うけど、転載転用はご勘弁願えればと思います、念のため)
大事なことなのでもう一度言いますが、3月にはライブビューイングもあるとのことなので、気になってるけど迷っている人は、是非ライビュだけでも観てね…。
私、偽義経冥界歌が大好きなので… このお芝居をたくさんの人が観てくれたら、とってもうれしい…。令和の現場からは以上です…。
シャナナの梵字が答え合わせだったっていう話
昨日、朱雀岐阜で観たシャナナは極楽浄土だったっていう話を衝動的に書いてしまったんですけど、その続きの話をしていいですか? \イイヨ!/
こんなところまで読みに来てくれる人はだいたいわかってる人だとは思うんですけど、念のため言っておくと、ここで書く話はちょっと密教好きなオタクがライトな解釈を妄想レベルで語る話なんで、そういう前提をちゃんと持ってほしい。あと前回のブログを読んでくれてること前提で書くからいろいろすっ飛ばします。
ここには正解など何もない。あるのは私の勝手な解釈だけです。
Final公演のときの梵字をチェックした
昨日のブログを書いた後、軽い気持ちでFinal公演のWOWOW録画を観ていたんですよ。つまり5年前のシャナナを確認することになっちゃったんですけど、今度こそ本当に失神するかなって思いました。死因に梵字って書かないといけなくなるところだった。
復活公演と違ってたんですよ、太一くんの梵字が。ひと目でわかってしまった。
でもちょっと落ち着こうと思って、いったん確認できるだけ全員分の梵字を確認して、そんで、ああこれはやっぱりそういう意図なんだって気付いて、もうダメだった。
Final公演での太一くんの梵字は、バン
前回のブログでこんなこと書いてたんですけど。
まぁつまり密教的に言うと大日如来なんですけど… わかります…? 密教オタクが失神しそうなのわかります…? 釈迦が悟った真理そのものって意味なんで(意味わかんないと思うけど)、シャナナの間、劇場が宇宙の中心でありこの世のすべてなんだなって… オタクは… 思うんです… ぱたり。
大日如来の梵字って、なんだかわかりますか? バンなんです。Final公演で太一くんが着てたの、大日如来を意味するバンなんです。嘘でしょ?
大日如来について説明するのはもうしんどいので、大日如来のウィキペディアを読んでください。
もうなんていうかね、そもそもシャナナっていう響きが(もともとの歌にはそういう意味はないだろうけどオタクが勝手に連想してるだけです)遮那=毘盧遮那仏を連想させる語感じゃないですか。大光明で全宇宙を照らす仏ですよ遮那。光明遍照ですよ? 遮那王牛若の遮那ですよ?
ウッ…!!!!(いつもの発作)
摩訶毘盧遮那っていうのは大日如来の別名みたいなもんでもあってね、だからそういうことなんですよ。私が失神しそうになった理由が1ミリでも伝われば幸いです。ほら、オタク、沼と沼がつながる瞬間ってみんなやばいじゃないですか? この話、私にとっては超弩級にやばいんですよ。
あの、やばいついでにもうひとついいですか? ゆっくんが着てるのはFinalでも復活公演でも不動明王の梵字なんですけど、不動明王って大日如来の化身とか脇侍って言われている存在なんですよ。そんで私おとといこんなこと言ってるんですよね…。
私たぶんフォロワーが想像する以上に密教ガチ勢なんですけど、私の守り本尊って大日如来と不動明王なんですよ。勢いそのおふたりを身近に感じて生きてきたんですけど。(ちなみに三大推し本尊を選ぶならここに弥勒菩薩が加わります)
— 奥様は朱雀にまだ通い終わってない (@yahishigimamito) January 2, 2020
無理じゃないですか? こんなこと言ってる人に兄弟でその構成っていうのは無理オブ無理じゃないですか? お願いだから私の命を大事にしてほしい。
歳々年々〜光明までの答え合わせ
ちょっと話を変えて、東京公演を観てたときに思ったことの話をします。
東京公演、開幕ど頭に「これがうちの一番商品でござんす」とばかりに花魁道中持ってきたじゃないですか。一番商品が全部背負ってやってまいりましたみたいな顔見世オープニングじゃないですか。たぶん大阪でもそうなんだろうと思うけど。
いや、よく見れば、わかる人がよく見れば、とんでもない強力なフォーメーションなんですよあれ。文脈がすげぇ。ひとりひとりに割り当てられた役割と意味だけで泣いてしまうレベルの人員配置なんだけど、とはいえあれをはじめて観る新規の客には一番商品しか目に入らないわけでしょ? そんなの演出家さんにはわかりきってるわけでしょ? ねぇ演出家さん???
でも、歳々年々から光明までの流れで、太一くんが全部背負うような朱雀は終わったんだなっていう気持ちにさせてくれるのがすごくて。私はそのことで胸がいっぱいになってしまうから、公演後に毎度放心してしまってたんだけど。
なんていうのかな、人間ひとりが背負うべき業の相が変わったっていう感じがするんだよね。歳々年々の双翼から、最後あんなにきれいに全員でひとつの大きな朱雀になるような群舞を持ってくる。それがどういうことなのか、自分の頭の中ではきれいにつながって、なかなか言葉にならなかった。
確かに今の座長は太一くんだし、彼にしか背負えないものたくさんあるだろうけど、5年刻みの時を隔てながら成長してきたゆっくんが隣にいて、あゆちゃんが控えていて、後ろにはそれぞれの朱雀を身体いっぱい広げて背負ったみんながいる。光明群舞のフォーメーションを観るたびに泣き崩れてしまう。
— 奥様は朱雀にまだ通い終わってない (@yahishigimamito) December 15, 2019
私は観客が太一早乙女に神性を見出すこと自体が彼の背負う業だと思ってるので、太一くんが神扱いされるたびにちょっと警戒してしまうめんどくさいオタクなんだけれど、東京公演まんなかくらいで、こんなふうに思ったんです。
神の子から降りた。そんなふうに思わせてくれた復活公演でさ、背負う梵字が変わってるって衝撃じゃないですか? Finalで背負ってた汎神論そのものの大日如来じゃなくて、虚空蔵菩薩に変わってたんだっていうのが、なんかすごく心に刺さってしまって。そのことに気付けて本当によかったって。
大日如来って、とにかく宇宙そのもの、万物そのものみたいなところがあるので、それを背負って踊るっていうことは、その人こそが朱雀そのものっていう解釈ができるじゃないですか。でも、そうじゃなくなったんですよ。あくまで構成からの解釈ですけど。朱雀っていう宇宙の中で、それぞれがそれぞれの柱として立っているんだって思えるっていうかね。なんか説明がつたくてごめんね… 私が言いたいことの意味、伝わるといいな〜〜〜。
はぁ… ちゃんとした感想もまだ書いてないのに、梵字だけでどんだけ書くんだよっていう話なんですけど、この話をしないと大阪に行けないと思った。今の朱雀をちゃんと目に焼き付けるために。(これは大阪初日に向かう新幹線の中で書いています)
ひとまず、最後にこの言葉をもって大阪公演への期待の挨拶に代えたいと思います。
私の推し本尊背負ってつまんねぇアクトしたら本当に許さないもん😌
— 奥様は朱雀にまだ通い終わってない (@yahishigimamito) January 2, 2020
浄土からは以上です。さぁ、現場に行くぞ。
追記:ちゃんとオチがつきました
大阪初日後にだらだらおでん食べながら、岐阜の大五郎さんゲスト回で誰が何を着ていたか改めて確認したんですけど、なんとよしきくんが大日如来のバンを着てたっぽくて、爆笑しちゃいましたね。ちょっとパッと見ただけなんで、改めて確認したいとは思うんですけど。
いや、よしきくんが着ちゃいけないってことじゃないんですよ!ww もしかしたらすごい意味があってよしきくんが着てるのかもしれないし! でも、なんていうか、雑www っていう感じがもうおもしろくてww だって大五郎さんに着せることだってできたでしょそれ!!www ちなみにパッと確認しただけなんで確かじゃないですが、大五郎さんは韋駄天ぽいの着てました。(もし違ってたら後で修正します)
なんていうのかな〜、オタクが勝手に膨らませたそれらしい妄想をさ〜、ちゃんとどこかで裏切ってくれるっていうか〜、そんなの思い過ごしだよっていう隙をきちんと残してくれるっていうか〜、結局は期待するような意味なんてないよ! って笑い飛ばしてくれる感じがさ〜、はちゃめちゃに好きなんだよね〜!!
だから安心して自分の解釈を好き勝手こねくり回すことができる。全部自分の妄想だったり願望だからさ〜って、笑い飛ばせる。
この話のオチは以上です。御清聴ありがとうございました!
朱雀岐阜で観たシャナナは極楽浄土だったっていう話
前置きなしに話をはじめますけど、朱雀岐阜で観たシャナナの衣装の話をしますね。シャナナの衣装さ、あれさ、右脚に当たるところに梵字が描いてあるじゃないですか。あれについてちょっと語らせてほしい。
本当は感想ブログとか書いたあとにゆっくりまとめようと思ってたんだけど、フォロワッサンが知りたがってるので、もうこの件だけ先に投げちゃうことにした。Twitterで済まそうと思ったけど分量が多すぎた。
感想ブログもまだ書けてないのにw 新年一本目なのにw 何をやってんだろw
とにかくシャナナの梵字の話をします。読み取り間違ってたらごめんね! あと取り急ぎ出しちゃうけど、後で梵字の形とか描いて追記するね。
なおちゃんの梵字は釈迦如来
まずセンターなおちゃん、あれはバクっていう梵字。迷いの世界を除いて涅槃を得るって意味の梵字で、釈迦如来を意味してる。釈迦はみんな知ってると思うけど、如来っちゅうのは悟りを開いて仏ヒエラルキーの最上位にいる仏なんですよ。つよい仏。
釈迦如来は人はみな平等で、苦しみが煩悩から来てることを知れば誰でも苦しみを解決することができるよっていうメッセージを持った仏様なんですよね〜〜!! センター歌姫が釈迦なの納得度高くないですか? なおちゃんセンターだから。歌姫だから。
太一くんの梵字は虚空蔵菩薩
次は太一くん。タラークっていう梵字だったね… 虚空蔵菩薩… ちょっと私、太一くんが虚空蔵菩薩の梵字で踊ってるってわかったときに失神するかと思ったよね… タラークって、心の迷いから解き放たれて修行によって涅槃に入ることを意味する梵字なんですけど。なんかすごい太一くんっぽい梵字なんですよ。
虚空蔵菩薩ってね、徳と智慧をもって人々を救ってくれる仏なんですよ、虚空蔵菩薩ね。でね、芸術と技芸の仏様でもあって。記憶と芸術と技芸をもってして、虚空のような果てしない広大な慈悲と智慧で衆生を救ってくれる仏… ねぇ、わかる? わかる???
ところでおかざき真里先生の「阿・吽」って漫画読んでますかみなさん。あれに「虚空蔵求聞持法」って出てくるの読みました? 若き日の空海が洞窟に籠って真言を100万回唱えたやつ。その虚空蔵求聞持法の虚空蔵ってこれですよ… この仏ですよ… オン・バザラ・アラタンノウ・オンタラク・ソワカ。
100万回という気の遠くなる数、ああきっと太一くんが稽古してきた数も気が遠くなる数に違いない、けれどそれによって我々にあんなすばらしいものを観せる、まさに仏ですよ。神じゃなくて仏なんですよ太一くんは。梵字が判明したときに失神しそうになった私の気持ちが少しでも伝われば幸いです。
あ、ちなみに虚空蔵菩薩が持ってる持物はふたつあって、宝剣と宝珠です。セイバー系の仏です。宝剣は悪を打ち砕き、宝珠は心のままに何でも取り出せる功徳を象徴しています。太一くんっぽい…。
ゆっくんの梵字は不動明王
次はゆっくんなんですけど、ゆっくんのはね、私本当に倒れるかと思った。心に直撃しすぎて吐きそう。ゆっくんの梵字はね、カーン。つまり、ふ、ふ、ふ、不動明王〜〜〜〜〜!!! ヒィ!!! いや、不動明王マジでマイ推し本尊のひとりなんで、生まれたときからっていうか生まれる前から守ってもらってる系なんで、もうね、無理。
刀剣乱舞やってる人はね、あれですよ、倶利伽羅剣をね、持ってる人ですよこの仏様は。倶利伽羅剣、もしくは九徹剣という剣を持っています。ねぇ倶利伽羅剣ってすごくてさ〜〜〜〜〜竜が巻き付いていて、炎に包まれてるんだよ!! 剣が!! っていうか剣そのものが単体で信仰の対象だし!! つえええ!!!
あとは羂索っていう縄みたいな法具を持っています。ちょっと羂索について聞いてもらっていいですか。いいよね。聞け。羂索っていうのはさ、もともとは狩猟の道具なんですよ。その道具でね、衆生を捕らえて無理やり救済してくれるんスよ、不動明王。みんなゆっくんに捕まっちゃったよね。わかる。
ちょっと休憩してもいいですか…(休憩タイム)
さて、あの、不動明王なんですけど、不動っていうのは、梵名のアチャラナータから来てて、アチャラナータっていうのは「山のように動かない者」っていう意味らしいです。めっちゃ怖い顔しててちょっと厳しいこともするけど、我々を光明に(光明にだよ!!!)導いてくれるんですよ… オラオラ系の強引な仏なんだよ不動明王… 好き…。みんなで唱えようナウマクサンマンダ・バザラダン・カン。
あっ、大事なことはもうひとつあってね、不動明王、火焔光背っていうのを背負ってるんだよね。つまり燃え盛る炎を背負っています…。人間界の迷いや煩悩を炎で焼き尽くすっていう意味があるんだけど、ゆっくんに焼き尽くされている我々、もうなんていうかその意味がわかりますよね…? 私の心に直撃してきた理由、もうわかってもらえましたよね…? 御清聴ありがとうございました…。
あゆちゃんの梵字は吉祥天
もう燃え尽きそうなんだけど、がんばってあゆちゃんの梵字のことを書きます。あゆちゃんのはぁ、シリーっていう梵字でぇ、吉祥天を表しててぇ、美をもたらす仏様なんだよ… べそべそ、べそべそ。あゆちゃんのぉ、梵字がぁ、吉祥天でぇ、もう泣くしかできない… べそべそ、べそべそ。
吉祥天はね、願い事を叶えてくれる仏なんだよ。左手に如意宝珠っていう最強の宝珠を持ってて、右手は与願印っていう印を結んでいるの。もう救ってくれる気満々なの。心の愚かさや怒りも取り除いてくれるんだよ… わかる… あゆちゃん見てると救われる… わかる…。
あっ! 突然ですが三人吉三をご存知ですか! あのお寺の欄間に描かれているのも吉祥天だよ… 吉祥院だからね…。知ってる前提で書くなっていう話だよね。知らない人は観て。
さっき梵字がシリーって言ったんですけど、これね、インドの神的に言うとラクシュミーなんですよ。あゆちゃんラクシュミー!!! 豊穣の神!!! 浄財と五穀豊穣のご利益があって、ただひたすらに美しい… あゆちゃんに弁財天じゃなくて吉祥天を持ってきたセンスよ… それがすごい…。
あっあっ! そういえば! 吉祥天! 吉祥天の母って! 誰だか知ってますか!? 吉祥天の母って鬼子母神なんですよ! わかります!? わかります私のこの気持ち!? 鬼子母神!! 奈々さん!!!! 奈々さーーーーーん!!!!!
…もう限界。
ちなみにまなちゃんの梵字は読み取りが難しくて、梵天とか大黒天に似てるなぁって思いながら見たけど、結局なんの梵字か確信が持てるまでには至りませんでした。ごめんね。
シャナナは極楽浄土だなっていう話
シャナナと同じ衣装で踊る曲はあるけど、でもやっぱりシャナナでやってくれると極楽浄土感が増すなって思っています。あのカラフルな衣装と、彼らが身に付けた梵字と、飛び回るような振り付けと。
もうなんていうかね、そもそもシャナナっていう響きが(もともとの歌にはそういう意味はないだろうけどオタクが勝手に連想してるだけです)遮那=毘盧遮那仏を連想させる語感じゃないですか。大光明で全宇宙を照らす仏ですよ遮那。光明遍照ですよ? 遮那王牛若の遮那ですよ? ウッ…!(発作)
まぁつまり密教的に言うと大日如来なんですけど… わかります…? 密教オタクが失神しそうなのわかります…? 釈迦が悟った真理そのものって意味なんで(意味わかんないと思うけど)、シャナナの間、劇場が宇宙の中心でありこの世のすべてなんだなって… オタクは… 思うんです… ぱたり。
浄土からは以上です。感想まとめはまた追って書きます。
追記:この話、続きがあります。
2019年の観劇まとめ 〜そこそこ遠征しました〜
2019年は一度もステアラで回らなかったなぁ、などと思い出しつつ今年も自分的まとめをします。よくツイートした単語を振り返ると、朱雀を観に行くという強い意志を感じる。あと予想外に歌舞伎にハマっている気配を感じる。ですよね。なんとなく知ってた。
去年のまとめで私は目標を立てたんですけど。
本当に反省しているので、来年は観劇を減らします。本当です。
状況はと言いますと、去年の観劇95回に対し、今年は約40公演・計84回。去年よりも観劇は減りました。目標達成。すごい。えらい。でも遠征が増えました。反省は以上です。
観に行った公演まとめ
- 『新春浅草歌舞伎(1部2部通し)』浅草公会堂(1月/2回)
- 音楽活劇『SHIRANAMI』新国立劇場(1月/4回)
- 『罪と罰』シアターコクーン(1月/1回)
- 劇団四季『キャッツ』キャッツ・シアター(2月/1回)
- 『二月大歌舞伎(昼の部・夜の部)』歌舞伎座(2月/1回)
- 『風の又三郎』シアターコクーン(2月/1回)
- 『ヤン・リーピンの覇王別姫 ~十面埋伏~』オーチャードホール(2月/1回)
- 『羅生門』EXシアター六本木(2月/1回)
- 『世界は一人』東京芸術劇場プレイハウス(2〜3月/3回)
- 『偽義経冥界歌』フェスティバルホール(3月/4回)
- 『ヘンリー五世』梅田芸術劇場(3月/1回)
- 『三月大歌舞伎(昼の部・夜の部)』歌舞伎座(3月/2回)
- 『空ばかり見ていた』シアターコクーン(3月/1回)
- 『BLUE/ORANGE』DDD青山クロスシアター (3月/1回)
- 『毛皮のマリー』新国立劇場(4月/1回)
- 『偽義経冥界歌』金沢歌劇座(4月/3回)
- 『四月大歌舞伎(夜の部)』歌舞伎座(4月/1回)
- 『偽義経冥界歌』まつもと市民芸術館(4月/3回)
- 『獣の柱』シアタートラム(5月/1回)
- オフシアター歌舞伎『女殺油地獄』新宿FACE(5月/1回)
- 『六月大歌舞伎(夜の部)』歌舞伎座(6月/1回)
- 『黒白珠』シアターコクーン(6月/2回)
- 『毛皮のマリー(幻・夢)』下北沢 小劇場B1(6月/2回)
- 『命、ギガ長ス』ザ・スズナリ(7月/1回)
- 『七月大歌舞伎(夜の部)』歌舞伎座(7月/1回)
- 『けむりの軍団』TBSアクトシアター(7〜8月/5回)
- 『氷艶hyoen2019 -月光かりの如く-』横浜アリーナ(7月/1回)
- 『八月大歌舞伎(第二部)』歌舞伎座(8月/1回)
- 市川蔦之助自主公演『第二回蔦之会』(8月/1回)
- ナゴヤカブキ「BENTEN the KID-御存知弁天小僧白波事始-」ナゴヤ座(8月/3回)
- 『九月大歌舞伎(夜の部)』歌舞伎座(9月/1回)
- 『渦が森団地の眠れない子たち』新国立劇場 中劇場(10月/1回)
- 『スーパー歌舞伎2 新版オグリ』新橋演舞場(10月/1回)
- 『けむりの軍団』フェスティバルホール(10月/1回)
- 『十月大歌舞伎(昼の部・夜の部)』歌舞伎座(10月/3回)
- 劇団AUN『一尺四方の聖域』CBGKシブゲキ!!(11月/1回)
- 『Q:A Night At The Kabuki』東京芸術劇場プレイハウス(11月/1回)
- 『劇団朱雀 復活公演』紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA(11〜12月/11回)
- 『キレイ-神様と待ち合わせした女-』シアターコクーン(12月/2回)
- 『BRAI2』あうるすぽっと(12月/1回)
- 『新作歌舞伎 風の谷のナウシカ(1日通し)』新橋演舞場(12月/1回)
- 『義経千本桜』あうるすぽっと(12月/1回)
- ナゴヤカブキ『YAJIKITA2 -地獄道中閻魔戯之巻-』(12月/1回)
- 『劇団朱雀 復活公演』ぎふ葵劇場(12月/6回)
観劇にはカウントしてないんですけど、上弦ゲキシネ日本最速公開を観るために名古屋に遠征したのもいい思い出。初日、知ってるオタクだいたいいた。つよい。私は連泊して3日連続で観て帰りました。東京初日にもだいたいみんないた。好き。
印象に残っているもの
いろんな舞台を観たなぁ。戯曲的なベスト3は『世界は一人』『偽義経冥界歌』『命、ギガ長ス』かなぁ。僅差の公演もありますが、今の気分で選ぶならこの3つな気がする。でもなんか選べない。わりといろんなジャンルの舞台を観たので、どれも宝物なんだよね。みんな違ってみんなよかった。(よくなかった舞台もあったけど)
印象に残った役者さん
役者さんで言うと印象的なお芝居が多すぎて、なかなか難しい。単純によかった役者さんが多くて難しいってことです。観た順とかで思い出して、ノープランで何人かピックアップします。本当は好きな役者さん全員について書きたい。マメにブログを書いてないのが悪い。
まずは『風の又三郎』の窪田正孝くん。正直、唐十郎の世界観なのでお話は奇天烈で置いていかれっぱなしなんだけど、窪田くんの存在感一点突破で心の家宝になるレベル。にこにこしながらイルカショーを観に行ったはずが、豪速球で消えない魔球がこっちに飛んできた感を楽しみました。舞台なのにモザイク処理が必要だった。
次は『ヘンリー五世』の溝端淳平くん。溝端くんは『一尺四方の聖域』を観てさらに震えちゃったんだけど、どちらも表情が徹頭徹尾やばくて、あんなナチュラル赤ちゃん狂気ぶっ放してくるの淳平くんしかいないね? っていう。お芝居だけじゃなくて、カテコでスタオベになった瞬間の、新鮮に安堵と喜びを顔に表すピュアピュア淳平くんがどうかしてる。魔界転生のときにも同じ顔を見せたのを思い出して、ジュンッ!! って脳が焼けましたね。淳平くんみたいな赤ちゃん他に知らない。
あとは『渦が森団地の眠れない子たち』の藤原竜也くん。母親との関係性をアレさせたら日本一芸人、タツヤフジワラ。言いたいことは以上です。
※追記! 忘れてたから追記! 今年私海外出張が何回かあったんですけど、機内でずっと『ダイナー』観てて。計40時間近いフライト中、ずっとダイナー観てて。藤原竜也ボイスで「俺はぁぁぁ!! ここのぉぉぉ!! 王だ!!」「砂糖の一粒まで俺に従う!」ってずっと聞いてて。あんな逃げられない空の上でエンドレスに観てたの、拷問に近い状態じゃないですか? なんだったんですかね。観ちゃった。
あとねあとね、『Q:A Night At The Kabuki』のすず〜〜!! 広瀬すずちゃん〜〜〜!! 言い方は悪いですけど、すずちゃんはドラマ向いてないから映画だけさせときなよってずっと思ってて、舞台で観たときにその理由をバチコーンと理解したよね。ドラマのスケールに押し込めてたらもったいないんだあの生体エネルギー。
ちょっと脱線しますけど、野田さんの芝居って、技の役者さんと心の役者さんが比率多めで板に乗ってると思うんですよ。体の役者さんが少ないっていうか。だけど、広瀬すずは体の役者だったのではないかなって思っていて。技というには粗削り。心というには温度がない。天性のフィジカル、身体を器にして送受信する感性、野田地図のバランスを崩してなお素晴らしいと思わせる技と心との共鳴能力。やばくないですか? 松たか子と広瀬すず、身体の使い方もエネルギーの操り方も陰陽の宿し方も対照的で、よくこんなにも真逆のあり方の役者を使ってきれいな反転構造が作れたもんだな野田秀樹! ってキレそうです。なんでキレるのかわかんないけど。あれは伏線の回収という話ではないな。カタルシスの回収ですよ。もうこんな尺使って書くんだったら単体でQの感想ブログ書きなよって話なんですけど。
すずちゃんの話に戻って、あの子絶対舞台のほうが伸びる気がするから、もっと舞台にでてほしいなぁ。あの子たぶん身体に直接入れないと入らない子なんじゃない? すずちゃんって、あの子本当に「器」なんだろうなって感じるんですよ。あの子の中から何かが出てくるわけじゃない。だけど外から満たしてあげたものをたっぷり湛えることができて、正しい方向を教えてあげれば注ぎ返すことができる。そういう天性の勘。少なくともQ の舞台で観たすずちゃんの印象はそんな感じだったんだよ。あの子はいい現場で仕事しないと光らないんじゃないか、そんなふうに思わされる。
編集を経ない広瀬すず、もっと世に出していくべき。舞台の広瀬すず、すごく好きです。長くなりましたがすずちゃんについては以上です。本当にブログ1本分くらい書いてしまって本当にすまない。
印象に残ったジャンル
ジャンルで言うと、圧倒的に歌舞伎。そして大衆演劇。大衆演劇っていうか、劇団朱雀なんですけど。朱雀は朱雀っていうジャンルだなって思っているので、歌舞伎と朱雀ですね。
朱雀についてはまだ通い終わっていないので、年明けにでもいろいろまとめようと思ってるんですけど、感情が重すぎてだいぶ無理。写真は岐阜公演に通うオタクたちを見守ってくれた岐阜の金の殿です。岐阜は通える。大きな学び。また会いに行くからな。
2019年も各現場でいろいろなオタクたちにめちゃくちゃお世話になりました。来年もよろしくね。来年の目標は観劇を減らす、です。
現場からは以上です。