夜にひしぐは神おろし

お芝居とか映画とか好きなものの話を諸々。自分のためのささやかな記録。

『二月大歌舞伎』歌舞伎座

今年はできれば毎月遊びに行きたいなぁと思っている歌舞伎座。二月は昼の部だけ観ることができたので、観劇記録を残します。日程の都合がつかず、夜の部を観に行く隙間を作れなかったのが残念!

二月は初世尾上辰之助三十三回忌追善ということで、縁の深い演目が選ばれていたようなのですが、よちよち歩きの歌舞伎初心者なので、まっさらな目で観る以外のことはできず。良し悪しがわかる目を持っているわけでもなく、ただひたすら「楽しいと感じるかどうか」「好きだと感じるかどうか」だけで観てました。

二月の昼の部の演目は以下の3つ。

  • 義経千本桜・すし屋(よしつねせんぼんざくら・すしや)
  • 暗闇の丑松(くらやみのうしまつ)
  • 団子売(だんごうり)

どれも楽しめたけれど、私の目には暗闇の丑松がとっても新鮮に写りました。視点が建物の二階に据えられているセットがおもしろい。あちこちに近所の目があって、町内みんな近い距離で生きてるんだなって雰囲気が感じられた。そのせいか、刃傷沙汰に及ぶまでの空気にリアルさが増す気がする。

歌舞伎の舞台って、平面構成に近い演出が多いなと思っていたのだけど、暗闇の丑松みたいな高さと奥行きを存分に使う演目もあるんだなぁって知りました。歌舞伎初心者は何を観ても「はじめて」づくしなので、楽しみが無限大だなぁ!

三月も楽しみです。

『世界は一人』東京芸術劇場 プレイハウス、初日

昨日の日曜日、楽しみにしていた『世界は一人』の初日に行ってきました。そもそもは松尾スズキさんのお芝居が好きで、お芝居に集中する松尾さん目当てで最初の興味を持った舞台なのですけど。期待値MAXで観たのに、ちっとも裏切られなかった。それだけですごい。

期待はずれだったら怖いから、いつもは期待値を下げ気味で行くんですよ、私の性格上。岩井さんの作品をちゃんと観るのははじめてだったんですけど、このお芝居はあえて期待値MAXで向かってみて、そしたら同じだけの喜びが返ってきたんですよ。それってすごくないですか?

『世界は一人』って、ざっくり、こんなお芝居

岸田戯曲賞受賞作家・岩井秀人作・演出作品「世界は一人」

松尾スズキ、松たか子、瑛太ほか、豪華俳優陣、ミュージシャン・前野健太とタッグを組み、2019年春、東京芸術劇場 プレイハウスにて、初の音楽劇を上演!

世界は一人| PARCO STAGE

確かに音楽劇でした。でも、ストプレ観るのとそんなに変わらない感覚で音楽を受け入れているというか、音楽が鳴っているという違和感がないというか。舞台上でのシーンの切り替えも独特なのですが、それもすんなり入ってくる。

大好きな役者さんが揃っていて、音楽もいい。脚本もいい。構成もいい。好きだ好きだと言いつつ「そんなに好きじゃない箇所もある」って作品のほうが多いくらいだけど、『世界は一人』は隅から隅まで好きしかなかった。隅から隅まで、好き。

そう思って書こう書こうとしていたのだけど、どうにもいつもとは勝手が違って。このブログでは毎度、初日に行ってきたらネタバレしない程度におすすめポイントを挙げながら観劇記録を残す、という感じでやってきました。でも、今回はどうもそうはいかない感じなんですよね。

役者さんの演技がよかった(めちゃくちゃよかったし、本当に。松たか子さん瑛太さんはもちろん、平田敦子さんが最の高すぎて…)とか、こういうシーンがよかった(各シーンを切り取った感想だけ集めたとしても、相当な量になりそう)とか、そういうことはいくらでも書ける気がするのだけれど、でもそれよりも先に湧き上がってくるのは作品に対する印象みたいなものたちで。

それらを放り出したまま次の観劇に行くことはできないなって、そんなふうに思ってるんです(今週末また『世界は一人』を観に行くのです)。

なので、あんまり整理することはせずに、作品の印象をとつとつと並べ書いておこうと思います。感想とも呼べない言葉の断片を。ネタバレになるのかならないのかも判別できないし、誰かに何かをオススメする内容でもないけれど、ここから先はどうぞご自身の判断でお進みください。

はじめて『世界は一人』を観ての印象

「あの作品おもしろかった?」という問いには答えが見つからない。気軽に誰かにオススメしようという気持ちにも、今のところはなれない。

吐き出したいものは、感想というものとはまるで違う何かだ。『世界は一人』を観ている私は、芝居の向こう側を観ている。この作品と出会ってしまった後は、テーマのその先にあるカタルシスなき自分の生を見つめるしかなくなる。

構成や演出は難解なのかもしれない。すべてを理解して観ていたわけではないし、振り返ってもわからないことがいくつもある。けれど、その表現方法がもたらす感触みたいなものは、とても伝わってきた気がする。

抒情詩と呼ぶにはあまりにもリアルで、ドキュメンタリーと呼ぶには自意識が過剰で、これはなんなんだろう? これはなんなんだろう? ずっと考えてしまう。そんな作品について、それでも書き残しておきたい思いや言葉が溢れてくる。

まるで記憶のような時間

『世界は一人』を観ているあいだ、誰かの記憶に似た断片が眼の前に差し出され続ける。どこまでが事実で、どこまでが誰かの記憶なのかもわからないままに。散りばめられた時系列。移ろうそれはまるで誰かの、もしかしたら私の記憶であるかのようで。

そうして見つめる舞台は、コンシャスであるとは言いがたい、ボーダーコンシャスな記憶の装置なんだと思う。モーメントの集積、いや、もしかしたら集積される前の揺らぎなのかもしれない。ほんの少しだけ揺さぶられたスノードームのように、モーメントたちが舞い上がる。舞い上がって翻り、たまたま陽の光が当たったモーメントのほんの側面を、私達は観ているのだ。

そうして差し出される記憶は上澄みの記憶。記憶の虚実は問題ではなく、光が当たっているから見えるのだ。本当の本当の本当のことは、まるで海に沈む汚泥のように、意識の底に沈殿している。泥に光は当たらない。泥を眠らせておくことだけが、前を向いて生きるために必要なこと。そんなことだって、きっとある。

沈殿した記憶はどうなっちゃうんだろう? 出会い直して生き直したと思い込んでいる男の清浄な意識の底には、きっと誰も知らない澱が静かに沈んでいるはず。故郷の砂浜に運ばれた汚泥のように、男のものだったかもしれない記憶の澱も、誰かの中に汚れた澱として沈んでいるんだろうか。汚れた泥は、故郷の街に砂浜に。故郷で引きこもる男の中に。母となった女の中に。

『世界は一人』を観るということは、まるで記憶のような時間。それが、観終わって最初に思ったことだった。この感覚はおもしろくて、とても怖いものだった。

起承転結ではない物語

この物語には結末がない。結末だけでなく起承転すべてが曖昧で、しんどさを昇華するカタルシスは用意されていない。そこにあるのは破滅の物語でもなく、再生の物語でもなく、ただそこに生きている人の物語。

それが『世界は一人』の本質(だと私が解釈しているもの)なんじゃないかなって思う。生きている限り世界は going on で、そう簡単に都合のいいエンドは訪れない。たとえ5階から飛び降りたって、目が開いちゃったら続きを生きなくちゃいけない。

「歯車が狂った」と言えるのは、とても楽なことだ。なんらかの歯車がそこにはあって、それがあるべき姿じゃなくなってしまったから、今こうなっている。そういう因果に自分の物語を預けてしまえば気が楽だから。でも、実際にはなんにも狂ってなんかいない。本当は歯車なんてものもない。何かが狂ったわけじゃないけど、今こうなんだよ。

大したことじゃなくてもつまずいた男がいた。逃げようと飛び降りたのに生きている女がいた。いろんなことがあってものらりくらりとやり過ごしている男がいた。つまずいたままだった良平、逃げようとした美子、やり過ごしてきた吾郎。自己を相対化できなかったのは良平だけなのか?

それにも答えはない。答えを置かないこと、それはカタルシスを用意しないということだ。起承転結豊かなドラスティックな物語性でなく、ただそこにある物語を、記憶を、紡ぐ。すごいなと思うのは、それをニュートラルにやってのける役者陣の力だと思う。この作品をこの役者陣にオファーした演出家の岩井さんの感性が、ひどく頼もしい。

いつかどこかで出会った居心地の悪さ

私は『世界は一人』に出てくるあの街を知らない、けれどあの街と同じ時間を知っている。かつて逃げ出したいと思った何か、その何かがフラッシュバックのように板の上に現れる感覚。

街が貯め込んだ人々の呼気がアトモスフィアとなる。街のアトモスフィアはムードとなって人々を取り囲む。人々を取り囲んだムードは人々の日々にまとわりつく。街が貯め込む人々の呼気は、そうしてまた人々の中に還る。

そうした街の息苦しさを知っている。逃げ場のなさを知っている。けれど、どこで暮らしていても振り返れば街はまだそこにあるし、私の人生も終わらない。

『世界は一人』の物語の中には、振り返ると見えるはずのものが詰まっているんだと思う。光が当たらないように沈めてきた何かが。私は五階から飛び降りたりはしなかったけど、何かと出会い直すために街を出たのかもしれない。今はまだ破滅でも再生でもない人生をそれなりに生きている。幸せになるという結論に向かって生きている。カタルシスなんてないとわかっていても、自分の生を生きている。

舞台を観ながらそれに気付いていく。板の上にはいない自分も、そのお芝居と交わっている。たった一人で、この物語と交わっている。記憶のような時間と自分の記憶が交わっていく感覚、このお芝居のおもしろさみたいなもの、怖さみたいなもは、交わる感覚の中にあるんだと思う。

舞い上がるモーメントたちに、また会いに行く

東京千穐楽までに、あと2回観に行く予定でいます。そのとき自分はどんな気持ちで『世界は一人』を観るのかな。

それを見届けたら、役者さんたちの演技のすばらしさとか好きなシーンについても、改めてまた書きたいなと思います。

音楽活劇『SHIRANAMI』新国立劇場 中劇場、千穐楽

SHIRANAMI、1/29の前楽と千穐楽に行ってきました。観てからずいぶん経っちゃった、という気持ちがあったけど、まだ一週間経ってなかったことにビックリ。しかも初日が1/12だったんだもんね。最近公演期間が長いものに慣らされていたから、短距離走感があるのかもしれない。

初日から「決して手放しで最高だったという気持ちでないのは確か」という感想を残してはいて、「苦手だなー」と思う箇所がいくつかあった。けれど、計4回観る間にちょっとずつ折り合えるようになってきて、最終的に一箇所を残しては愛せるようになったぞ! やったね!

<!-- 読み飛ばしてもらってかまわない不満、ここから >>

本当、最後まで克服できなかった不満だけはちゃんと書き残しておきたいんだけど、1幕最後のシーンが嫌いなのです。今思い出してみても、あそこは好きじゃなかった。表現として言葉足らずに感じるだけなら、まぁしょうがないか、の一言で終われるんだけど。何がきつかったかって、無駄に盛り上がった期待感を宙ぶらりんにされたまま、ぶった切られること。そのせいで、2幕に向けての高まりと集中力に冷水を浴びせられる。冷やされた心のまま幕間を過ごす虚しさよ…。そこから2幕を楽しもうという意欲を自家生成するコストを、観る側が努力して払わないといけないってことじゃん。解せない。まったく解せない。払ったけど。楽しい2幕を観るために、そのコスト頑張って払ったけど。そんなこんなが、1幕ラストを最後まで愛せなかった理由。ライティングやショーに対する不満ではなく、明確に構成への不満。でも、それについては擁護ポイントがあって、あの演出から起こることを予想期待しすぎたからいけない、という事実もあると思うのね。勝手に期待したので。なんか、勝手に期待してすみませんでした。はい、個人的に言っときたかった文句はこれで終わりです。すっきり。

>> 読み飛ばしてくれてありがとう、ここまで -->

ひとつの作品を常にまるごと愛せるわけではないし、いいところとそうでもないところが同居しているほうが普通かなーと思うんですけど(しかもそういう部分についてはなかったことにして語らないことも多い)、そんなこんなひっくるめて「好きだったなぁ!」と晴れやかに言える作品がSHIRANAMI でしたね、私にとっては。

アンサンブルさんにいちばんの拍手を送りたい

SHIRANAMIに私の愛する劇団BRATSの皆さんが出ていることは、初日のログにも書きました。ついつい彼らを中心としたアンサンブルさんに注目してしまう癖があるのですが、まー今回のSHIRANAMI、アンサンブルさんの回し方が半端ねぇ半端ねぇ。

アンサンブルさん全員めちゃくちゃ忙しいでしょあれ! 様々な場面でたくさんの浪人や捕方が出てくるんだけど、そのすべてを入れ替わり立ち替わり演じ分ける段取り。はーすごい。あんなに激しく変えたり動いたりしてるのに、出トチリとかなかったのかしら…。

そうそう、ずっと1階席で観ていたSHIRANAMI、千穐楽は初の2階席から堪能したんですけど、1階席からは見えなかった床のバミリが激しくて驚いた。もはや幾何学模様なのではってくらい、カラフルなテープでバミバミしてあった。バミられすぎて、むしろどれがどれだかわかんないんじゃないの? って思ってしまったよね。

主演の5人がすごいっていう話はきっとあちこちで書かれていると思うので、それ以外のキャストさんのことを話したいなという気持ち!

花組芝居さんの底力

花組芝居という劇団に所属してらっしゃる加納幸和さんと谷山知宏さんがめちゃくちゃよくて、いっぺんにファンになっちゃった! 『メタルマクベス Disc1』に出てらした植本純米さんもすごくよかったし、花組芝居さんの世界観とか底力とか、信頼できるんだなって知りました。新しい「好き」をもらえるのってうれしい。次の花組芝居公演、絶対観に行くぞ。るんるん!

加納さんは孝明天皇、天璋院、老中・小笠原長行を演じ分け。ぼんやり観てたら絶対同じ人だって気付かないレベルで、それぞれの人間を表現していた。どの役にも人間としての懐みたいなものを感じて、芝居の深みってこういうことかーって。とにかく加納さんのシーンの安心感は異常。

谷山さんもいろいろな役をこなしていたけれど、土御門藤子(桃の井)の役がとにかく印象的だった。存在感もたっぷりあって、声が個性的。加納さん演じる天璋院とのやり取りがおかしみたっぷりで最高…。土御門と天璋院のペアは、大奥でのやり合いも楽しかったし、寝所シーンでのダンスの表現も豊かだったし、本当に本当に好き。

劇団BRATSの舞台強さ

もちろん、他の方々もそうなんですけど、私のひいきがBRATSに偏っているので、偏ったまま話をしますけど、まー忙しかっただろうなって。

例えば二幕一場のエゲレス軍艦来襲シーン、あそこで鈴木壮麻さんが艦長に扮していて、左右を乗組員に扮したBRATSの面々が固めている。その直後すぐに、町人に扮して大八車を引いて出てきたりするわけです。出てないシーンを探すほうが難しいのでは??? というくらい、役を変え服を変えカツラを変え出ている。

個人的なベスト萌えポイントは、朝比奈徳之進に扮している熊倉さんが、二幕六場の朝比奈の回想シーンで登場した後、七場の桟橋シーンのはじめには出てこないのに、横浜ホテルへの転換直前に袖から飛び出してくるっていう流れ。そんなところ観てない人には伝わらない選手権として相応しいシーンだと思うんですけど、BRATSファンのフォロワーさんに同意してもらえたので満足です。

横浜ホテルでのショータイムは上手・下手・中央奥に散り散りになって踊っていたので目が足りなかったなぁ。あそこ、今日は絶対に壮麻さんを観るぞって決めた日も、後ろで踊る桃太郎さんが目に入ってきちゃうので、そわそわしてしょうがなかった(笑)。

たくさんの新しい「好き」にありがとう!

まとめとして言いたいことは、たくさんの新しい「好き」に出会わせてくれた異ジャンルコラボ作品として、SHIRANAMIは貴重な存在だったなということ!

さっき書いた花組芝居さんもそうだし、伊礼彼方さんや鈴木壮麻さんが出るミュージカルは観に行ってみようかなって思ったし、宝塚も大階段を一度は観てみたいなって思ったし、あと、失礼ながら喜屋武豊くんがあんなにいい演技するとは知らなくて、めちゃくちゃ好きになりました。

あと、これをきっかけに歌舞伎を観てみたいと思うビギナーが増えて、歌舞伎ビギナーとしておしゃべりできる仲間が増えたらいいなって思ったりもしています。先輩にいろいろ教えてもらうのも楽しいけど、同じタイミングで初めてを共有できるデビュー同期も貴重なので。

現場からは以上です。おつかれさまでした!

『罪と罰』シアターコクーン

1月の中旬に、『罪と罰』を観てきました。観てから時間が経っているのですが、観劇記録をできるだけ残すべく、感想とかを思い出して書きます。

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罪と罰ってこんなお芝居

みんな大好きドストエフスキー、中でも『罪と罰』は貧困生活、格差社会、信仰、哲学、愛、などなど、人間にとって普遍的なテーマがごっちゃり詰まった文学作品ですよね。

“正義”のためなら人を殺す権利があると考え、殺人を犯す主人公の青年ラスコリニコフには2 度目のタッグでブリーンから「世界中どこを探しても彼の他には考えられない」と絶大な信頼を得ている三浦春馬を迎え、哲学的な思索、社会に対する反動的な見地と政治思想、宗教感を織り交ぜながら、当時のロシアでの民衆の生活状況を描きつつ、殺人者の倒錯した精神に入り込んだ心理描写など読み応え満載の原作を舞台作品として甦らせます。

罪と罰 | Bunkamura

「シアターコクーンが海外の才能と出会い、新たな視点で挑む演劇シリーズ」であるDISCOVER WORLD THEATREの第5弾とのことなのですが、私はそもそもお芝居で『罪と罰』を観たことがないので(映像作品では何作か観ていますが)、わりとまっさらな目で観ることができました。

役者さん出ずっぱりの演出

役者さんたちが、舞台上にずっといる。暗転とか掃けるとかいう概念がなくて、舞台上にある物の見立てと役者さんの動きが場面転換のすべて。それがすごく新鮮でおもしろかった。音楽を奏でるクラリネット、アコーディオン、チェロの3人も、町の民衆の衣装をまとって舞台上で演奏している。

ところどころ、今そこで動いているメインキャストの動きが登場人物としての心理描写なのか、それとも背景としての民衆に扮したふるまいなのか、あやふやになるような独特な感覚があった。それがまた絶妙な効果で、観ているこちらも視点さえも舞台上に取り込まれていくような錯覚を呼ぶ。

そういう演出の舞台は、私が観たことがないだけで、たぶんたくさんあるのだろうと思うと、似たようなギミックの舞台をもっと観てみたくなる。こうやって舞台にはまっていくのねぇ。しみじみ。

三浦春馬くんの身体表現力

いやー、春馬くんよかった。生で春馬くんの舞台を観るのははじめてだったのだけど、特に1幕での身体表現に凄まじさを感じた。運動量とかアクロバティックな動きとか、そういう活動量としてのすごさではないので、一見地味っちゃ地味な表現力なのだけど。

身体表現力、と言う以外にボキャブラリーを持たないのが歯がゆい。なんと形容すればいいのかな。何度も跳ね上がっては倒れ込む芝居があって、その身体表現コントロールのダイナミックさと繊細さに惚れ惚れした。

舞台ファンの間で三浦春馬くんの評価が高いことは噂に聞いていたのだけど、実際にあの表現力を観て納得した。

ざっくりまとめ

シアターコクーンのDISCOVER WORLD THEATREはまた観たいなぁと思います。

音楽活劇『SHIRANAMI』新国立劇場 中劇場、初日

昨夜のことになりますが、音楽活劇『SHIRANAMI』、初日に行ってきました。年が明けて公私共にバタバタしており、初日の実感や心の準備がないままの観劇でしたが、ネタバレしない程度の観劇記録を残しておきます。

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SHIRANAMI って、ざっくり、こんなお芝居

歌舞伎演目『弁天娘女男白浪』で有名な原作『青砥稿花紅彩画』が原案。幕末の動乱を駆け抜けた五人の盗っ人たちの生き様を描いた『白浪五人男』を題材にした、全く新しい音楽活劇です!

出演者には、早乙女太一、龍 真咲(元宝塚歌劇団月組トップスター)、伊礼彼方、喜矢武 豊(ゴールデンボンバー)、松尾貴史等、役者だけでなく、ミュージシャン、ダンサーが集結。
今までに見たことがない、殺陣、ダンス、生演奏、映像、さまざまな手法で魅せるエンターテイメント性の高い舞台にご期待ください!!

Introduction | 音楽活劇「SHIRANAMI」 <オフィシャルHP>

 

要素がめっちゃくちゃ多い

とにかくたくさん詰め込みました! というみっちりエンターテイメント。詰まり過ぎてて混乱する人もいると思う(笑)。何目当てで観に来たかで感想も大きく変わりそうって思いました。

のひとことに尽きるんですけど、今の自分の気持ちを表現する語彙がない。いつも語彙がなくなるときって、胸いっぱいで言葉が出ないって状態なんだけど、今回はそれとも違う。この気持ちに名前が付けられない、なんだか混乱している(笑)。

いやホント、おもしろかったという言葉以外にどんな言葉を用意すればいいのか、この不思議なものを観た感をどう表現すればいいのか。決して手放しで最高だったという気持ちでないのは確かなのだけど、普通におもしろかったのは事実だし、いったいこのもやもやした気持ちはなんなんだ、という戸惑いがすごい(笑)。

千穐楽まで数回観に行く予定なので、自分の気持ちの変化も含めて味わっていきたいと思います。

個人的なオススメキャスト

みなさんお目当てがあって観劇すると思いますが、私が好きなキャストさんについて書いておきたいと思います。感想というより、単なる私のお気持ちです。

劇団BRATSの皆さんの躍動感

SHIRANAMIのバックを固めるアンサンブルキャストさん達のアクションやダンスも大きな見どころなのですが、その中でも私は劇団BRATSの皆さんが大好きです。さらにその中でも特に好きなのが、安田桃太郎さん、熊倉功さん、南誉士広さん。

アンサンブルさんを見分けるのは難しいですが、安田桃太郎さんに関しては配役的にも見せ場的にも目立つ立ち位置ですし、主演級と一騎打ちする場面などもあるので、はじめて目にする方でもすぐに「あの人か!」ってわかると思います。キレッキレの動きと眼力がすごいなので、ぜひ注目してみてください!

ちなみに、初日は南さんが体調不良で休演なさったので、心配。早く回復なさいますように…。そしてそんな状況に対しても、メンバーの愛を感じられるところがBRATSのいいところ…。

早乙女太一くんの座長力

私は早乙女太一くんを推しているので、太一くんの魅力を知ってくれる人がひとりでも増えればうれしいな、以上の気持ちはないんですけど、あえて言うなら座長力を感じてほしい。

女形の美しさとか殺陣の迫力など持ち前の芸については、とにかく見てもらえればわかると思う。それ以上に、あのひたすらにエンターテイメントを詰め込まれた要素てんこもり状態の一座でナチュラルに座長を務めている感じを味わってほしいなぁと思います。

いや、つまり本当に「推しをよろしくお願いします」でしかないんですけど、はい(笑)。

今回の現場からは以上です!!